1994-01-01から1ヶ月間の記事一覧
創価学会『ニセ本尊』破折 ―100問100答― 日蓮正宗法義研鑽委員会編 平成5年(1993)10月1日、創価学会は、離脱僧・成田宣道からの申し出によるとして、栃木県・淨圓寺所蔵の総本山第26世日寛上人御書写の御本尊を、勝手に複写し、配布しはじ…
日蓮正宗の正しい本尊は、「日蓮正宗宗規」第三条に「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止の本尊とする」と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。 この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』に「此の法門申しはじめて今に二…
日蓮大聖人は、末法のすべての民衆を救済するために御本尊を顕わされました。 『観心本尊抄』に「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(全集 二五四頁)と仰せです。 日蓮大聖人は、末法の時代に…
「人法一箇」とは、日蓮大聖人の顕わされた大御本尊は、人・法の名称は異っても、その体は同じであるということです。 「人」とは、人の本尊たる御本仏日蓮大聖人のことであり、「法」とは、法の本尊たる事の一念三千、南無妙法蓮華経の御本尊です。 日寛上…
〃本門の戒壇に御安置すべき御本尊〃という意味です。 宗祖日蓮大聖人が、弘安二年十月十二日に御図顕された出世の本懐たる大御本尊には「本門戒壇」との脇書きがしたためられています。 この「戒壇」について、日寛上人は『文底秘沈抄』に、「事」と「義」…
「一閻浮提総与の御本尊」とは「一閻浮提(全世界)のすべての人々が信受すべき御本尊」との意味で、本門戒壇の大御本尊のことを指します。 『観心本尊抄』に「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(全集 二五〇頁)と仰せ…
「本門戒壇の大御本尊」は、根本となる究極の御本尊であり、「各家庭の御本尊」は、御本仏日蓮大聖人より日興上人、日目上人へと、大聖人の御内証の法体を唯授一人血脈相伝される御歴代上人が、根源たる本門戒壇の大御本尊の御内証を書写して下付される御本…
「久遠元初」とは、単なる時間的な「宇宙の最初」という意味ではなく、実には一切の現象の究極・根本という意味で、時間・空間を超絶した絶対的な状態をいいます。 また、「自受用報身如来」について説明しますと、まず仏教において仏という場合、法界の一切…
かつて創価学会では、「この本門戒壇の大御本尊を根本として、血脈付法の歴代の御法主上人が大御本尊を御書写になり、御下附くださったのが、私達の家家に御安置申し上げている御本尊です」(大白蓮華 三四五―三六頁)と述べていたように、血脈付法の御歴代…
御本尊は、「幸福製造機」などという「単なる機械」「単なる物」ではありません。 日蓮正宗の御本尊は、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(全集 七六〇頁)とも「即ち彼の池を見るに不思議なり、日蓮が影今の大曼荼羅なり」(聖典三八〇頁)と説か…
池田氏は本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊を混同し、会員の心を本門戒壇の大御本尊から離れさせようと企てているのです。 御本仏日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に御図顕された人法一箇の「本門戒壇の大御本尊」が本宗の根本の御本尊で…
創価学会のこの指導は、会員を戒壇の大御本尊から引き離すためになされているものです。 そのために学会では、『日女御前御返事』の「此の御本尊全く余所に求る事なかれ、只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(…
これは池田大作氏が『日女御前御返事』の「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(全集 一二四四頁)の御文を勝手に解釈したものです。 池田氏は、さらに日寛上人の御文を悪用して「御本尊といっても大切なのは信心である」(池田スピ-チ H五・九・七)…
これは池田大作氏の我見であって、大聖人の教義ではありません。これはむしろ外道の思想です。 『御義口伝』に「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(全集 七六〇頁)と仰せのように、漫荼羅(本尊)とは大聖人御自身であり、大聖人を離れて妙法はない…
かつて池田大作氏は、「もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。 外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水…
本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません。 『寿量品』に「心に恋慕を懐き、仏を渇仰する」(開結 五〇一頁)とあるように、私たちにとって仏を恋慕渇仰する信心が大切なのです…
本門戒壇の大御本尊を離れては、日蓮正宗の信仰そのものが成り立ちません。 なぜなら、日蓮正宗における信仰の対境は本門戒壇の大御本尊に限られるからです。 したがって、大聖人の仏法において、大御本尊から離れて「御本尊根本」の信仰をするなどはありえ…
日蓮正宗を離れては広宣流布も一生成仏もありません。 日蓮正宗は大聖人の教えを今日まで正しく継承し、実践するただ一つの教団であり、大聖人の教えを守るとともに、これを生活の中に展開して、実際に一切衆生の救済に努めてきました。 その根源はなんとい…
真実の「御本尊根本」とは、宗祖日蓮大聖人の教義を正しく守り、血脈付法の御法主上人の御指南のもとに、本門戒壇の大御本尊を唯一無二に信ずることです。 しかし現在の創価学会でいう「御本尊根本」とは、御歴代上人に伝わる血脈相承を否定するためにいい出…
たとえば、精巧なカラーコピーの機械で、紙幣をコピーして「お札」を作製するとします。いかに本物の「お札」と見分けがつかなくても、そのコピー札は「ニセ札」であり、それを使えば法的に罰せられます。 なぜかといえば、 ①正式な政府の許可がなく、 ②日本…
宗門では、浄圓寺所蔵の本證坊個人に下付された日寛上人御書写の真正の御本尊を「ニセ本尊」といっているのではありません。 御法主上人の許可なく、勝手に複製されたものを、私たちは「ニセ本尊」と呼んでいるのです。 そのうえ、創価学会は日寛上人の御本…
宗門でいう「日寛上人の御本尊」とは、「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(全集 一一二四頁)と仰せの、大聖人の「たましい」が、血脈相承のうえから、正しく写されている御本尊のことです。 しかし、今回学会が勝手に複写して作ったもの…
この問いでは「なぜ宗門が下付しないのか」を知ることが大切でしょう。 日蓮正宗は、大聖人、日興上人以来の化儀・化法を守り、正しく信仰する人々に対しては、いかなる人であっても御本尊を下付してきました。 これは創価学会に対しても同様です。 ところが…
これは、本末転倒であり増上慢の考えです。 仏力・法力・信力・行力は四力といいます。その関係について、日寛上人は『観心本尊抄文段』に「当に知るべし、蓮華は水によって生じ、我等が信力・行力は必ず法力によって生ずるなり。若し水なくんば則ち蓮華生ぜ…
「ニセ本尊」には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となります。 大聖人の仏法において「似て非なるもの」を用いるということは、大謗法です。 その理由は、仏に似ているが…
三宝を誹謗する謗法団体となった創価学会に所属している人は、従来の御本尊でも功徳は積めません。 「『ニセ本尊』に功徳はない」というのは、その本尊自体が、最初から大御本尊の血脈が通じておらず、仏力・法力が具わっていないからです。 従来の御本尊は…
総本山大石寺にまします、本門戒壇の大御本尊を根本とし、唯授一人の血脈に従い、本門の題目を自行化他にわたって行じることです。 信仰とは、絶対的なものを「信じ仰ぐ」ことです。「何」を対象として信ずるかによって正邪が決まりますが、仏法では三宝を対…
総本山第二十六世日寛上人は『文底秘沈抄』に「富士山は是れ広宣流布の根源の故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(聖典 八五五頁)と仰せです。 すなわち、全世界の人々が総本山にまします本門戒壇の大御本尊に帰依して、本門の題目を唱…
大聖人の仏法を血脈相承によって、末法万年に正しく伝えることが「令法久住」であり、正法が全世界に弘まることを「広宣流布」といいます。 『報恩抄』には「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目を…
宗門は「法主信仰」ではありません。 本宗では、あくまで信仰の対境は本門戒壇の大御本尊であり、これは昔も今もまったく変わりがありません。私たちにとって、御法主上人は御本仏日蓮大聖人の御内証を受け継ぐ正しい師ですから、敬うのは当然です。 大聖人…