妙法蓮華経並開結 略要旨私考
無量義とは一法より生ず(無量義経) 法華経が説かれる瑞相(序品第一) 方便は真実を説くための手段(方便品第二) 譬喩を用いた教化育成を(譬喩品第三) 信じることで理解を深める「信解」(信解品第四) 妙法の力用は草木の薬となる(薬草喩品第五) 成…
「無量義とは一法より生ず」(法華経19)とは、開経である『無量義経』の「説法品第二」に説かれています。その一法とは「法華経」であり、釈尊が説かれた無量義という全ての経文は、「法華経」から出ているのです。それが「無量義とは一法より生ず」とい…
日蓮大聖人は『瑞相御書』に、 「仏、法華経をと(説)かんとし給ふ時、五瑞六瑞をげん(現)じ給ふ。其の中に地動瑞(ちどうずい)と申すは大地六種に震動す」(御書918) と仰せであります。法華経が説かれるときには、必ず瑞相があります。それが「序…
釈尊が説かれた仏法は、爾前権教において方便力を巧みに活用され、真実の仏法である法華経に導きます。そして記別を授け成仏させるわけです。 私達が朝夕の勤行唱題で読誦する「方便品第二(法華経88)」は、迹門十四品の中心であり、重要な意義があります…
法華経には譬喩が盛りこまれ、難解な法門を弟子が理解するように釈尊は説かれます。「譬喩品第三(法華経128)」では、「三車火宅の譬え」が説かれ、大白牛車という最高の乗り物において、成仏することを諭していきます。 「三車火宅の譬え」とは、長者の…
信心は、信じることにより理解することが出来、疑うところには仏法を正しく理解することが出来ません。 『涅槃経』には、「信解四句分別」という信と解の関係を、四種に分別しています。信而不解(しんにふげ)・解而不信(げにふしん)・亦信亦解(やくしん…
草木は環境を意味し、私達人間の行い如何で草木の存命を大きく左右します。私達が、御本尊様を受持し御題目を唱えれば、草木が一番住みよい環境を作り出すことが出来ます。 多くの人が信心をしないために、環境破壊が進行しています。環境破壊を根本から止め…
『法華経』において、成仏の証明となる「授記」が成されます。つまり、爾前権教にはない、声聞と縁覚の「二乗作仏」が説かれます。 授は与える義、受は得くる義、記は事を記すということで、すなわち成仏の事を記すので、仏意によれば授記、機情によれば受記…
「化城即宝処」とは、『法華経』の「化城喩品第七」(法華経245)に説かれる法門です。仮の真理として説かれた化城(三乗)が、そのまま宝処(究極の真理である一仏乗)にほかならないということです。そのことを解り易く説明されたのが、七譬の一つ「化…
『法華経』の「五百弟子受記品第八」(法華経290)に「貧人繋珠の譬え」があります。貧人繋珠の譬えとは、ある男が親友の家で酒に酔って眠ってしまいました。親友は外出するので、眠っている男の衣服の裏に無価の宝珠を縫いこんで出かけました。男はそれ…
世間一般では、「学」というと学問があり、「無学」というと学識が全くないという意味になります。しかし、仏法においては正反対であり、「学」とは、まだまだ学ぶものがあるという意味になり、「無学」とは、全て学び尽くし学ぶものが無く、悟りを得た仏様…
『法華経』の「法師品第十」(法華経318)には、「五種法師」と「衣座室の三軌」が説かれます。「法師品第十」からの対告衆が、菩薩に変わります。 「五種法師」とは、五種の修行ともいい、受持・読・誦・解説・書写のことです。『唱法華題目抄』には、 …
「七宝」とは、『法華経』の「見宝塔品第十一」(法華経335)において、金・銀・瑠璃・瑪瑙・真珠等の宝を意味しております。地面から涌出した宝塔が、虚空という空中に姿を現します。 『御義口伝』において「七宝」とは、 「第二 有七宝(うしっぽう)の…
提婆達多は、過去世に於いて「阿私仙人」であり、釈尊は王位を捨て、阿私仙人に千年給仕をしておりました。 しかし、三千年前の釈尊がインドに在世当時、提婆達多は高慢であり、五逆罪のうち、出仏身血・破和合僧・殺阿羅漢の三逆罪をおかしています。そのた…
『法華経』の「勧持品第十三」(法華経370)には、 「我不愛身命。但惜無上道。(我身命を愛せず 但無上道を惜む)」(法華経377) ということが説かれています。 「勧持品第十三」では、「三類の強敵」という俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢が説…
『法華経』の「安楽行品第十四」(法華経379)に、 「諸天昼夜。常為法故。而衛護之。(諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し)」(御書396) と説かれています。御本尊様を信じ御題目を唱えれば、昼夜にわたり諸天善神の守護が存在するので…
「地涌の菩薩」を本化の菩薩といい、久遠から釈尊初発心の弟子であります。『法華経』にしか登場しない菩薩で「従地涌出品第十五」(法華経407)に説かれ、爾前権教に執着する、声聞・縁覚・菩薩等に「動執生疑」を発させるため、地面から出現しました。…
『法華経』の「如来寿量品第十六」(法華経428)には、「久遠実成」という五百塵点劫の大昔に、釈尊がすでに成仏していたことが説かれます。それが「本地」であり、本地の反対が「垂迹」になります。垂迹の立場である始成正覚(釈尊が十九歳で出家し、三…
『法華経』の「分別功徳品第十七」(法華経444)には、現在の四信(一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成)と滅後の五品(随喜品・読誦品・解説品・兼行六度品・正行六度品)が説かれます。この品では、菩薩大衆が種々の功徳を得て、功徳の浅深不同を…
「随喜」と「五十展転の功徳」は、『法華経』の「随喜功徳品第十八」(法華経464)に説かれます。「随喜」について、「分別功徳品第十七」でも説かれましたが、滅後の五品の随喜品において広く解釈しています。 「随喜功徳品第十八」に、 「聞是法華経。…
「六根清浄」の功徳は、『法華経』の「法師功徳品第十九」(法華経474)に説かれます。信心で随喜するところ有り難い「六根清浄」の功徳を得られるのです。つまり「法華美人」といわれる由縁が、この「法師功徳品第十九」にあります。 五種法師である受持…
六根清浄の功徳を得る大事な修行を、不軽菩薩が私達に姿を示しています。釈尊は『法華経』の「常不軽菩薩品第二十」(法華経497)で説かれており、折伏で不軽菩薩の精神を身に付けることが出来ます。 「常不軽菩薩品第二十」に、 「我深敬汝等。不敢軽慢…
『法華経』の「如来神力品第二十一」(法華経509)には、「四句の要法」が説かれ、釈尊が地涌の菩薩の上首、上行菩薩に妙法の大法を付嘱するところです。これを「結要付嘱」とも「別付嘱」といいます。末法時代に仏法を流布するために大事な付嘱になりま…
「摩頂付嘱」は「嘱累品第二十二」(法華経518)にあり、一切の菩薩に対し総じて付嘱するということです。仏が無量の菩薩の頭を三度なでて付嘱するところから「摩頂付嘱」と呼ばれ、仏が弟子に教法を伝え、弘通を托すことであります。 「摩頂付嘱」は、『…
『法華経』の「薬王菩薩本事品第二十三」(法華経522)に説かれる、 「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。(我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。)」(法華経539) という経文は、日…
『法華経』の「妙音菩薩品第二十四」(法華経542)には、東方の妙音菩薩が三十四身を現して、広く十方世界に法華経を流布することを説いたものです。妙音菩薩の布教姿勢を、日蓮大聖人の御指南のもとに拝するところ正しく理解できます。 妙音菩薩とは、浄…
世間一般では、相当逸脱した姿で、観音菩薩の信仰があります。経文にある本来の観音菩薩は、『法華経』の如来寿量品に説かれる仏様の大慈悲の思いから、私達が住む娑婆世界に「観世音菩薩」と現れ一切衆生を救済することが説かれます。つまり、釈尊の使い(…
『法華経』の「陀羅尼品第二十六」(法華経573)には、陀羅尼である御題目を唱えると、五番善神が法華経の行者を守護することを、仏に誓っています。 五番善神とは、「陀羅尼品」の五番神呪に登場する、薬王菩薩・勇施菩薩・毘沙門天王・持国天王・十羅刹…
『法華経』の「妙荘厳王本事品第二十七」(法華経583)には、父である妙荘厳王と妻である浄徳夫人、二人の子供であり王子でもある浄蔵と浄眼の、父を折伏する模様が説かれています。父は妻子の教導により正法を信心するようになります。家族の中で信心し…
『法華経』の「普賢菩薩勧発品第二十八」(法華経596)に、普賢菩薩の人法守護が説かれます。信心するところに、普賢菩薩の守護が存在します。 文証が「普賢品」において、 「於後五百歳。濁悪世中。其有受持。是経典者。我当守護。除其衰患。令徳安穏。…