手引書⑤
60.信仰を持たない人や無神論者の方へ 61.正しい仏様とは日蓮大聖人です 62.折伏成就は、挨拶から始まります 63.正法誹謗者は還著於本人を恐るべし 64.日蓮正宗と創価学会は違います 65.創価学会から日蓮正宗に改宗するには 66.信心は…
世の中には、仏様や神を信じず自分だけの力に頼り生きている人がいます。一見、人間らしい生き方でしっかりした立派な人のように見受けられます。しかし、落とし穴があることを理解する必要があります。「落とし穴」とは、慢心や自惚れといった我慢偏執が強…
世の中には、仏様と称しながら根拠が非常にいい加減な仏が横行しています。このような仏には、仏様に具わる本来の力はなく、人生を堕落させるマイナス的な力しか持ち合わせていない邪な仏もいます。邪な仏には十分に注意しましょう。正しい仏様が「日蓮大聖…
何気ない「挨拶」が、人と人との繋(つな)がりを変えます。「挨拶」をすることは、仏法を学び修行をする以前の人間として行わなければいけない作法です。信心では「不軽菩薩」の精神を持って「挨拶」することが大切です。 「挨拶」が折伏の成就にどのような…
「還著於本人」とは、自分自身が行ったことが自分に全て還って来るという意味です。経典に説かれる「還著於本人」は、他人に向かって行った悪い行いが全て自分に降りかかってくることを説いています。特に「正法誹謗」という、正しい信心をしている人に対し…
世の中には、未だに日蓮正宗と創価学会が同じ宗教であるという認識をお持ちの方がいます。この考えは一昔前の考えで、今現在は全く違います。どこがどのように違うのか解りにくい方もおられましょう。一見、同じ様な御経と御題目を唱え、御本尊様も同じ様な…
創価学会から日蓮正宗に改宗するには、日蓮正宗寺院に於いて「勧誡式(かんかいしき)」を行わなければいけません。そして創価学会とは根本的に違う、七百年来伝統のある法華講に入講され本当の信心を学ぶことが出来ます。また法華講に入講することで、創価…
「所作仏事」とは、私達が朝夕の勤行で唱える『如来寿量品第十六』の経文です。私達の凡眼凡智では知ることの出来ない、仏様の御化導は五百塵点劫の大昔から一度も止まることなく続いています。仏様の振る舞いを真似ることが「所作仏事」であり、あらゆる人…
「謗法払い」とは、正しい仏法に背いている間違った本尊や法具・神棚や位牌などを取り払うことです。信心をし御本尊様を自宅にお迎えするとき必ず行う日蓮正宗の「化儀」です。日蓮正宗を信心する以前に信仰していた本尊や神様は全て三大秘法の御本尊様に納…
日蓮大聖人は『聖愚問答抄』に、 「世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強(あなが)ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少(きしょう)なり。汝只正理を以て前(…
正しい仏法とは日蓮正宗に伝えられています。仏教に関して知識のない方は、仏教はどれでも同じであるという考えをお持ちと思います。仏教に関しては、浅はかな我見で安易に判断できないものがあります。好き嫌いで判断することは言語道断です。仏教を説く宗…
釈尊滅後の正法時代について日蓮大聖人は『新池御書』に、 「仏教は仏滅度後、正法一千年が間は天竺(てんじく)にとゞ(留)まりて余国にわたらず」(御書1364) と仰せであり、中国や日本には仏教は伝わらず、天竺であるインドにおいて正法の千年間、…
日蓮大聖人は『撰時抄』に、 「像法に入って一十五年と申せしに、仏法東に流れて漢土に入りにき。像法の前五百年の内、始めの一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論(じょうろん)していまだ事定まらず」(御書840) と像法時代に入り、インドから…
末法時代は、闘諍堅固(とうじょうけんご)といわれ釈尊の仏法が衰え、互いに仏教同士が争う時代です。正法時代と像法時代が過ぎた後に到来するのが末法時代です。 末法時代は、釈尊の仏法では救われない本未有善の人々が生まれる時代です。末法は釈尊在世と…
日蓮大聖人は『寂日房御書』に、 「夫(それ)人身をう(受)くる事はまれなり。已(すで)にまれなる人身をうけたり。又あ(値)ひがた(難)きは仏法、是又あへり。同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまこと…
人間は生きていれば「不安」が付き物です。新しい人生の出発となる学校や仕事、今まで経験したことのない事へ挑戦するときは「不安」が生まれます。 「不安」には、また自分自身を意識しすぎ、周りの人と比較し劣等感を持つ不安、未来の仕事や生活に絶望を感…