手引書⑦
91.慈悲魔に御用心 92.寺請制度に固執する人は謗法与同罪 93.「御線香」を供える理由 94.私達が住む所を裟婆世界という 95.人生を楽しくする秘訣は少欲知足 96.防非止悪を意味する戒律の「戒」とは 97.落ち着きを持つ秘訣である禅定の…
『小乗大乗分別抄』に、 「慈悲魔と申す魔」(御書710) と仰せであり、慈悲に似せた魔の働き「慈悲魔」が存在します。ある宗教団体が会員の心を巧みにとらえ利用する一つの通力です。「慈悲魔」を使う人は、利根と通力に長けており、相手の心を撹乱させ…
「寺請制度」とは、自分の意志に関係なく役人が勝手に家族の宗旨を決めた制度であります。江戸時代、庶民がキリシタン信徒ではなく檀徒であることを、その檀那寺に証明させた制度です。つまり、人間が決めたことであり、「仏様」がこの宗旨の仏法をしなさい…
『戒体即身成仏義』に、 「道場を荘厳(しょうごん)し焼香散華(しょうこうさんげ)して」(御書1) と仰せのように、御本尊様に「御線香」を御供え申し上げることは、道場となる御本尊様御安置するところを荘厳にし、仏様が安住される「常寂光土」を再現…
「娑婆世界」とは、忍土・忍界と訳し、苦しみが多く、忍耐すべき世界の意です。人間が現実に住んでいるこの世界。自由を束縛されている軍隊・牢獄、または遊郭などに対して、その外の自由な世界。俗世間をいいます。 この「娑婆世界」には様々な誘惑や苦悩が…
「欲」は次から次へと心の中に生まれるものです。この「欲」は扱いを間違えると人生を大きく踏み外します。「欲」は自分自身の気分を満たすために生まれ、「欲」があるからこそ私達は生きることが出来ます。私達が住んでいるところは「欲界(よっかい)」で…
戒定慧の三学にあるのが「戒」です。仏法全般においてあるものです。仏法の中でも最高の三学が三大秘法の御本尊様です。 世の中に多く知られているのが小乗の戒律が知られています。この戒律では成仏できません。自分自身を害するだけです。インドでは未だに…
「定」とは、私達の気持ちを定めることです。つまり、心を一つの対象に集中して安定させること。心の散乱を静めた瞑想の境地です。 この「定」は、生活や仕事を安定させ更に大成するには大事なことです。「定」を心がけることにより、「戒」を充実させます。…
幸せになるためには、正しい智慧である「慧」がなければいけません。智慧を得るためには、御本尊様に御題目を唱えることです。「戒」と「定」に依って得た、悪心の戒めと心の落ち着きを定めたことで、正しい智慧である「慧」を御本尊様から「以信代慧(いし…
日蓮大聖人は『頼基陳状』に、 「一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんや」(御書1132) と仰せであり『種々御振舞御書』に、 「一丈のほり(堀)をこへぬもの十丈二十丈のほりを越ゆべきか」(御書1058) と仰せであります。一丈の堀を越え…
日蓮大聖人は『富木殿御書』に、 「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔(く)ゆること勿(なか)れ」(御書1169) と「止暇断眠」について御教示であります。人生には無駄を省き、少欲知足を心得て…
邪な智慧に長けて人生を生きる人には、巧みに外見を尊い菩薩のように取り繕い、心の中では、人間とは思えない、夜叉といわれる悪鬼が考えるような考えを持ち、迫真の演技で振る舞い、人を騙しながら生きる人がいます。それが「外面似菩薩 内心如夜叉」です。…
折伏は難事中の難事です。それが「六難九易」であります。法華経の「見宝塔品第十一」に、例を挙げて仏の滅後に法華経を受持することの難しさを明かしたものです。九易自体は大難事でありますが、仏の滅後に法華経を受持・弘通する六難に比べれば易しいこと…
日蓮大聖人は御書の中に『開目抄』を残されております。『開目抄』は、末法の迷える私達の、閉ざし盲目となった、心の目を開くために書き残されたのです。『開目抄』の「開」の字には、二意あり、一には障りとなるものを除く(所除)の義、二にはものを見る…
信心をしていない人でも、話が上手く話術に勝れている人がいます。末法時代には、邪な能力が勝れ邪智に秀でた人が生まれるときです。邪智に長けている人は、信心から見た場合、「三類の強敵」や「第六天の魔王の眷属」、「悪鬼入其身」した人が、邪智に満ち…
話術の要諦は、自分自身の感情をコントロールすることがまず大事です。感情を律することが出来れば、自分自身の悩みや迷いである煩悩を操ることが出来ることに繋がります。つまり「煩悩即菩提」を身口意の三業に振る舞うことが出来るわけです。折伏をすると…