平成十九年八月度 広布唱題会の砌
(大日蓮 平成19年9月号 第739号 転載)
本日は、八月度の広布唱題会に当たり、海外よりの御信徒をはじめ多くの方々が参加され、まことに御苦労さまでございます。
さて、皆様もよく御承知のとおり、法華経の五百弟子受記品第八に、法華七喩の一つである「貧人繋珠の譬え」、これを衣裏珠の譬えとも、衣裏繋珠の譬えとも言いますが、この貧人繋珠の譬えが説かれております。
これは、ある人が親友の家を訪問してお酒をごちそうになり、すっかり酔って眠ってしまったのであります。この時、官吏であったその親友は、仕事のために出かけなければならなくなり、酔って眠っている友人の衣服の裏に、無価の宝珠、つまりこの上なく高価な宝珠を縫いつけて出ていったのであります。
しばらくして酔いから覚めた友人は、酔っていたため何も気づかず、親友の家を辞して諸国を放浪し、衣食にも事欠く有り様で、衣食を求めては艱難辛苦し、少しばかりのものを得ては、それで満足してしまう浅ましい生活を続けていたのであります。
そののち、その友人は親友と再会することになりましたが、その親友は友人のみすぼらしい姿を見て大いに驚き「なんで、そんなみすぼらしい姿をしているのか。以前、なんでも思いどおりになるようにと、高価な宝珠を汝のために衣服の裏に縫いつけておいたのに、気がつかなかったのか。今もなお、その宝珠はあるではないか。それも知らずに苦しみ、悩んでいることは、はなはだもって癡かである。汝は今、この宝を売ってお金に換え、必要なものを買ったなら、自分の思うとおりの楽しい生活ができるはずだ」と言われ、初めてそれに気がついたその友人は、ようやく無価の宝珠を得ることができたという話であります。
この話のなかで、諸国を放浪して食べることと着ることだけにあくせくとして毎日を送っていた者が、ときたま、少しばかりの物を得て、それで満足してしまったということは、小乗の悟りのなかで満足してしまい、阿羅漢の位に安住して仏に成るべき努力をしなかった五百人の声聞の弟子達のことで、それ以上を求めようともしなかったことを恥じて、自らこの譬え話を語っているのであります。
また、身に高価な宝珠を着けながら、それを覚らず、知らずにいたということは、せっかく仏性を持ち、仏と成るべき身でありながら、無智なるが故にそれを覚知できなかったということであります。
しかし、のちに衣服の裏に無価の宝珠のあることを知り、すなわち仏様の真実の教えを知って、初めて成仏の大利益を得ることができたのであります。
今、悪世末法の世の中を見ますると、この譬え話にあるように、衣食のみに目を奪われ、しかも少しばかりの物を得てそれで満足をして、三世にわたる真の幸せを求めようとせず、一日一日を無為に過ごしている人達。また、自分自身に具わっている仏性という、無限の可能性を秘めた価値ある宝珠を持っていることに気がつかずにいる人達。苦しみや悩みを抱えて疲労困憊し、自分自身では解決の糸口も見いだせず、悶々として毎日を送っている人達。その上、他の人がせっかく手を差し伸べているのさえ気がつかないでいる人達。また、間違った教え、謗法が不幸の根源であることも知らず、いまだに三宝破壊の池田創価学会をはじめ間違った教えに毒されて、抜け出せずにいる人達があまりにも多くいるのではないかと思います。
このような人達に対して、不幸の根源である謗法の害毒を取り除き、一切衆生に本来的に具わっている仏性の存在と尊厳を悉知せしめ、正しい大聖大の仏法に帰依せしめていくのが、今日における我らの重大なる使命であります。
すなわち、折伏を行じていくということであります。折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、立正安国実現の最善の方途であります。大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云。重罪消滅しがたし」(御書九〇六㌻)
と仰せであります。
今、宗門は僧俗一致の態勢をもって「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の御命題達成へ向けて、一歩一歩、力強く前進をしておりますが、御命題のなかでも「地涌倍増」の闘いはまことに大事な闘いであります。
いつも申し上げておりますように、地涌倍増の達成なくして、平成二十一年を名実ともに迎えたことにはなりません。
そのためにも、皆様方にはいよいよ信心強盛に、一人ひとりが断固たる決意と勇敢なる行動をもって折伏に精励されますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶といたします。
