創価学会が主張するこのような邪義の「文証」は、どこにもありません。
日蓮正宗の仏法においては、「相承」「相伝」がなければ「血脈」もありえないのです。『身延相承書』に「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に付嘱す(中略)血脈の次第 日蓮日興」(全集 一六〇〇頁)と、「付嘱」「血脈」を示されています。また『池上相承書』には「白蓮阿闍梨日興に相承す」(同頁)とあり、ここには「相承」と記されています。
宗祖日蓮大聖人が御入滅に当たって、日興上人に仏法の一切を相承された証しとなるこの両付嘱書は『二箇相承』といって、二書を切り離して考えるべきではありません。「相承」「相伝」という仏法の大事を離れて「血脈」がないことのなによりの証拠です。
かつて学会においても、『折伏教典』第九章に二箇相承を引用したのち「(日興上人は)ご入滅にさきだち、第三世として日目上人を選ばれ、日蓮大聖人から相伝された一切を日目上人に付属された」(同書 二二九頁)と説明していたのです。
このように「血脈の次第」があるからこそ、日蓮大聖人より日興上人、日目上人へと「相承」「相伝」されてきたのです。
ゆえに「相承」「相伝」を離れた血脈は絶対にありません。学会でいう「大聖人と自分自身の問題である」との考えは、唯授一人の血脈を否定する邪説です。
