大聖人は『木絵二像開眼之事』に、「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(全集 四六九頁)と、開眼供養をしなければ主人のいない家に盗人が入り、魂の去った死人に鬼神が入ってしまうようなことになると教えられています。
このように日蓮大聖人自ら開眼の重要性を示されることからもわかるように、御本尊の開眼は本宗の伝統法義なのです。
かつて、池田氏は「日蓮正宗の根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢から、その根本軌道を失ってはならない」(広布と人生を語る 六-四一頁)と述べていました。
これらの池田氏の指導は、「正宗の伝統法義を守る」ことが「創価学会の根本軌道であり」将来にわたって絶対に崩してはならない不動の路線として示されたものです。
御本尊の開眼は本宗の伝統法義の中でも、最も重要なものです。
それを都合が悪くなると「権威を高めるための儀式」だとか、「無用のもの」などと指導する学会のいい分は、まさに自語相違です。
