正林寺御住職指導(H26.6月 第125号)
数珠は仏道修行に欠かすことのできない大切な法具です。一般的に数珠は穴が貫かれている多くの珠に糸の束を通し輪にした法具のことをいいます。仏を念ずる時に用いる珠との意味から「念珠」とも呼ばれ、字の前後を入れ替えて「珠数」と書く場合もあります。法具とは仏様の法に従って仏道修行や仏教の儀式に使用される大切な道具という意味から法具といわれています。
数珠の由来について総本山大石寺第二十六世日寛上人が『六巻抄』の『当家三衣抄』に、
「問う、数珠の由来如何。
答う、夫れ数珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具なり、木槵子経に云わく、昔国王有り、波流梨と名づく、仏に白して言さく、我が国辺小なり、頻年寇疫し穀貴く民困しむ、我常に安んぜず、法蔵は深広なり、遍く行ずることを得ず、唯願わくば法要を垂示したまえ、仏言さく、大王若し煩悩を滅せんと欲さば当に木患子一百八箇を貫き、常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし。」(六巻抄224)
と御教示であります。
日蓮正宗では日寛上人が仰せの数珠の由来の通りに、釈尊の数珠の起源となる木槵子経からの原点に基づき、仏法僧の三宝を念じるためと私たちの命の中にある迷いの百八煩悩を浄化するため百八箇の珠を貫いて作られた数珠を使用しています。
数珠は「下根を引接して修業を牽課するの具なり」との日寛上人の教えから、仏道修行が一生懸命に行えない人でも仏の境界へ近づけるようになり、そのため仏道修行が大事であるということを忘れないよう思い出させて頂くために大切な法具が数珠です。
その志を忘れないためにも、日寛上人が『当家三衣抄』に、
「数珠は須臾も身を離すべからず。故に『常自随身』と云うなり。」(六巻抄225)
と仰せであります。「常自随身」とは三宝を念じる時には必ず数珠を常に身につけておく大切さを教えられた御言葉です。三宝が在す寺院参詣の際には、数珠を必ず持参して来寺することにも「常自随身」の意味があります。
手に数珠を掛けて三宝を念じ御本尊に祈るということは、波流梨王が釈尊に質問された当時のことを現代の末法に移しかえた場合、混沌とした世の中の混乱と不幸と苦悩を取り除き、真の世界平和を実現するための真の解決策であります。多くの人が数珠をして末法の三宝を念じ御本尊に祈っていくことにより、真の世界平和が実現します。そのためにも折伏を行じていくことが必要になります。
数珠を「常自随身」する時には三宝を念ずることが大切でありますが、当宗での正しい仏法僧の三宝について日寛上人は『当家三衣抄』に、
「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし。」(六巻抄225)
と日蓮正宗の三宝について御教示であります。朝夕の勤行で念じる二座と三座の御観念文が末法における「南無仏・南無法・南無僧と称え」ることになります。
御本尊に向かって唱える時の正しい姿勢は、御法主上人猊下が得度式に念珠の掛け方、正座の仕方、合掌の姿勢、御本尊の拝し方などを御指南されます。日蓮正宗の僧俗は、その正しい姿勢を心がけて三宝を念じることが大事です。
日蓮正宗の数珠の形体には意味があります。珠の丸い形は全てを円満に具る妙法の功徳を示しており、左右の親玉は、父母・妙法・釈迦多宝・境智の二法といわれる意味があります。百八箇の小珠は私たちの命の中にある百八煩悩を表して、その間にある四個の小粒の玉は四大菩薩の徳となる常楽我浄を表しています。数珠を指に掛けて合掌し修行するところ、百八煩悩を覆い隠して、菩提へと転じて功徳を積むことが叶います。
当宗の数珠は他宗派と異なり房の色が白いのは大白法の意味があり、煩悩や邪宗邪義の謗法の害毒に染まらずに浄化されていることを示し、房が左右に長いのは「一天四海に法をなびかす意」「長きは他宗に簡異(区別)して折伏を表す」との甚深の意味があります。
当宗では袈裟・衣・数珠を三衣といいますが、数珠は布で出来ていなくても、煩悩をかくす不思議なる衣といわれています。
当宗での数珠の掛け方は房の二本の方を左手中指に掛け、中央で交差するように内側にひねり、三本房の方を右手中指に掛けて合掌します。
取り扱う場合の心得として特に読経唱題中、数珠はむやみに揉んだりして音を立てないように気をつけます。また普段でも畳や床へ直に置いたり振り回したり粗末に扱ってはいけません。袱紗や念珠袋に入れて大切に保管します。
日寛上人が御年61歳、今(2014年)から289年前の享保10年(西暦1725年)6月中旬に大坊に於いて再治遊ばされた『当家三衣抄』に、
「数珠は仏の如くせよ」(六巻抄225)
と御教示であります。古来より数珠を大切にして粗末に扱わないよう教えられています。
数珠を仏様のように大切に扱い御本尊を信じて題目を唱えるところには、四大菩薩の徳を表した四個の小粒の玉に具わる「常楽我浄」という働きが御本尊の尊い力用により顕現されていきます。その「常楽我浄」とは、仏様の境地や大乗の悟りに具わる四つの徳のことです。
「常徳」とは、仏の境地・涅槃が永遠に不変不改であること。「楽徳」が、無上の安楽のこと。「我徳」が、自我の生命が自由自在で他から何の束縛も受けないこと。「浄徳」が、煩悩の汚れのない清浄な徳、六根清浄へとつながる徳をいいます。
御本尊に向かい三宝を念じ題目を唱える時に「常楽我浄」の四徳が自然と具わります。その四徳を現実に顕現できるようにするためにも日蓮正宗の寺院において数珠の開眼供養が必要になります。
またこれまでに長く使用してきた古く痛んだ数珠は寺院に納めます。これは経本も同様です。もし自宅に長く使用され痛んだ数珠や経本が仏壇や経机などに保管されて、その後の扱いにお困りの方は、日蓮正宗の寺院に納めることが大切です。
