正林寺御住職指導(H22.8月 第79号)
機とは、人々が仏の教えを受けとめようとする心の状態、また仏教に対する衆生の能力のことをいいます。仏法を説くには人々の機根・機応を知ることが大切です。
日蓮大聖人は『教機時国抄』に、
「二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし」(御書270㌻)
また『佐渡御書』に、
「正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道な(成)るべし。千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶ふべからず」(御書579㌻)
と仏法を弘めるには、機根(心の状態・能力)を知ることが大事であると御教示です。「機」とは「可発の義」、仏の教えを受けて発動する人々の心の状態、また「根」とは仏道に対する人々の能力をいいます。
一切衆生の機根を大別すると「熟脱の機」と「下種の機」に分けられます。
日寛上人は『報恩抄文段』に、
「機とは、正像二時は本已有善の故に下種の善根を熟し、末法は本未有善なる故に、直ちに三大秘法を以て下種と為すなり」(御書文段四六三㌻)
と二種の機根について御教示です。
「熟脱の機」とは、仏の最初下種益の化導を受けた折に逆縁や退転による、後に熟益・脱益の化導を受ける衆生の機根です。これらの人々は已に久遠の昔に下種をされ善根を有しており「本已有善」の衆生といいます。釈尊の在世や正法と像法時代に生まれ仏道を行じた機根の人たちです。
「下種の機」とは、仏種を未だ心田に有していない荒凡夫のことで、これらの人々は久遠の昔に仏種を下されておらず、成仏のための善根を有していないため「本未有善」の衆生といいます。すなわち末法の人々のことです。
末法は五濁悪世の時代で貪瞋癡の三毒強盛な人々が多い時代です。機根の低い人ばかりが充満する末法は、熟益や脱益の釈尊の仏法ではなく、下種仏法である大聖人の三大秘法の教えでなければ人々を救うことはできません。末法の人々は久遠元初の御本仏の下種の妙法により、折伏逆化すべき最初下種の機縁であると知ることが「機を知る」ことです。
大聖人は『撰時抄』に、
「機に随って法を説くと申すは大なる僻見なり」(御書846㌻)
と時を無視し人々の機根に応じて法を説くことは大きな誤りと仰せです。
大聖人の御在世にも各宗の祖師は、人々の機根を主とし法を従として、勝手に適当と思われる法を説いています。もちろん一切衆生救済のために仏法が説かれたことは間違いありませんが、妙法を受持して信じ行ずるところにのみ末法に生まれた私たちの成仏があります。
