5.法華講総講頭及び創価学会会長を辞任
「11・7」のお詫び登山によって、全ての問題に終止符が打たれるはずであったが、その後も、学会問題は一向に沈静化する方向には進まなかった。それは「11・7」における池田会長の謝罪の内容に、多くの僧侶が釈然としないものを感じていたからである。
「仏教史観を語る」等の自らの誤りには触れることなく、ただ事態の収拾に手を尽くせなかったことをのみ謝罪するという池田会長の発言には、教義逸脱に対する自身の反省の意図が、少しも述べられていなかったからである。
このような、池田会長や学会幹部の姿勢に対し、僧侶や檀徒は、かえって不信を募らせたのである。
そうした状況の中で、明くる昭和54年1月27・28日の両日にわたって、第2回全国檀徒大会が、総本山の大講堂で、日達上人御臨席のもとに開催され、230名の僧侶と5000名の檀徒が結集し、池田会長以下大幹部等、学会の姿は少しも変わっていないと、厳しく糾弾したのである。
(1) 福島源次郎副会長の大牟田発言
宗内に充満した反学会の空気が、一向に沈静化しなかったこの時期、「11・7」の反省が全くの反古になるような、重大な問題が起こった。いわゆる福島副会長の「大牟田発言」である。
3月6日、九州の大牟田会館で、一連の問題に関する質疑応答の中で、福島副会長は、次のように発言した。
「1 僧侶吊し上げの件について…御供養をふところにして、
カツラをかぶって酒を飲みに行ったりして、遊んでいる
ことに対し、男子部が義憤にかられてやったことである。
2 本山への参詣が少なくなっていることについて…正本
堂ができて山内の整備も一応できたので、そう登山者が
なくてもやっていけるだろうと見通しがついたので登山
会を減らしている。
3 会長本仏について…会長が本山へ行くと、みなが慕っ
て寄ってくるが、猊下が通ってもどこのおじいさんだと
いう感覚しかないところから、僧侶がやっかんで会長本
仏などと邪推したのである。
4 研修所へ行かせることについて…本山の宿坊は旅館と
同じで宿泊費をとるが、霧島研修所は無料である。
5 以上のことはすべて、副会長全員の意見である。」
また、この頃、日達上人が兼務されていた、讃岐本門寺について、「本門寺や城山寺は謗法の寺である」「本門寺の僧侶は謗法の坊主である」等の、誹謗中傷の指導が、香川県の一部に流された。
これらについて、早速宗門から抗議の質問書が学会に出され、学会として、4月8日付『聖教新聞』に、「信徒の姿勢について」と題して、北条理事長の談話を発表した。「3月初旬の大牟田会館での福島副会長の発言や、四国讃岐・本門寺周辺の幹部の言動については、宗務院ならびに内事部より文書で具体的な指摘を受けました。
ことに、大牟田での発言は、信徒にあるまじき不穏当、不謹慎なものであり、発言者の立場をあわせ考え、まことに遺憾なことであります。ここに御法主上人猊下並びに御宗門の先生方に深くお詫び申し上げるとともに、本部として、今後このようなことが再び起きないように、必要な措置を十分講ずることを明言いたします。」
この結果、福島氏は、副会長を辞任させられた。しかし、これは福島氏の発言にもあるとおり、当時の学会幹部全員の共通した感覚であったろうことは、想像に難くない。結局、福島氏のみに、責任が負わされたのである。
(2)法華講連合会が池田総講頭に辞任を勧告
このような混乱が続く中、法華講連合会は3月31日、緊急理事会を開き、池田総講頭に対する辞任勧告を決議し、直ちに勧告書を池田氏に送付した。
その要旨は以下のとおりである。
「 決議
『池田大作氏はその責に耐えないことを自覚し、日蓮正宗法華講総講頭を辞任されるよう勧告します』
理由
1 近年の創価学会には正宗教義からの逸脱が多くみら
れ、宗門からの厳しい指摘により昨年(53年)11
月7日、その逸脱を詫び、誤りの訂正を約束した。
2 法華講連合会も機関誌『大白法』等により、貴会の
教義上の誤り、歪曲を指摘し、貴会が1日も早くその
逸脱を訂正し、立ち直られんことを祈り、微力ながら
尽力してきた。
3 だが、数か月を経過した現在、何ら今日までの誤り
を修正し会員に徹底して知らせることもなく、いまだ
に宗門を騒がせている。それのみか、学会幹部の最近
の言動をみるとき、一向に反省がなされていないのが
現状である。このままの状態では謗法とみなさざるを
得ない。
4 また貴殿は当日『これまで、いろいろな問題につい
て行き過ぎがあり、宗門をお騒がせし、またその収拾
にあたっても不本意ながら十分な手を尽くせなかった
ことは、総講頭の立場に或る身としてこの席で深くお
詫びいたします』と発言されたが、これまでの誤りは
創価学会としての誤りであり、法華講員には何ら関知
しないところである。しかるに総講頭として詫びられ
たことは、その中に私達法華講員も含まれ全く不名誉
にして残念至極で、これ以上池田総講頭の傘下にある
ことに忍びがたいものがある。
5 この際貴殿には、現在に至るも創価学会の体質を変
えることのできないことについて十分な責任を感じ、
総講頭の責に耐えないことを理解すべきである。以上
により、貴殿の総講頭の辞任を勧告する。」
この勧告書には、法華講連合会委員長以下18名の理事・幹事全員の署名捺印がなされた。
これら福島副会長の大牟田発言と、法華講連合会の総講頭辞任勧告の提出は、池田会長に辞任への意志を固めさせた。
昭和54年4月24日付『聖教新聞』に、「七つの鐘終了にあたって」と題して、会長所感を掲載し全学会員に会長辞任を発表した。
同日午後7時、会長辞任の記者会見をし、自らは名誉会長に就任し、会長の後任には北条浩氏、理事長に森田一哉氏が就任することが発表された。
明くる25日、池田名誉会長は『聖教新聞』に、
「近年、御宗門との関係で、皆様方に多大なこ心労をおかけし、御法主上人猊下のご宸襟を悩まし申し上げてきたことに対し、過去の経過の一切の責任をとらせていただくものであります」
と述べ、一切の責任をとって、辞任したことを明らかにした。
また、翌26日、日達上人にお目通りし、総講頭辞任願いを提出し受理された。
その辞任願いの内容は、以下のとおりである。
「私儀、このたび一切の責任をとらせて頂きたく謹んで法華講総講頭を辞任させていただきますこれからも信心第一で御宗門を外護申し上げ御奉公いたしてまいる所存でございます御法主上人猊下におかれましては 何とぞ永遠の僧俗和合への大慈悲を賜わりますようここに伏してお願い申し上げます」
日達上人は、この辞任願いを受けた後、4月28日に教師代表者会議で、これに関連して次のようなお言葉を述べられた。
「この辞任願いを持って参りまして、ですからこちらでも宗規に則って、総講頭を辞任した場合は名誉総講頭におく、という規定のもとに、名誉総講頭の名前を贈っておきました。
それから、さっそく向こうで26日には学会の規則もつくり、また自分も会長をやめて一切の責務を退くと、今後そういうことに口を出さないし、学会のことに口を出さない。また、常に噂される“院政”というようなことを絶対にしないということを表明しておりました。宗門としてはそれで一応解決したものと見ております。」
この時、池田名誉会長は、日達上人に対し、創価学会の一切の責務を退く、運営等に口を出さない、院政を敷くようなこともしない、等のことを約束したのである。また、日達上人からは、池田名誉会長に対し、名誉総講頭の称号が贈られたのである。
(3) 第40回本部総会
総講頭及び会長を辞任し、反省の意を明確に表明した池田名誉会長の姿勢を領納された日達上人は、5月3日、学会の第40回本部総会に出席された。
その折、特別御講演として述べられたお言葉を、抜粋して以下に記しておく。
「創価学会第40回本部総会を盛大に開催されましたことを、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。(中略)この数年間まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。(中略)生きている人間はだれしも完全無欠ではあり得ません。誤りは避けることができません。要は自己の誤りに気付き改めることのできる聡明さと謙虚さを持つことが大切であります。(中略)どうか今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護していただきたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸びのびと御活躍を願いたいのであります。(中略)これまでの経緯は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたいのであります。
最後に、池田名誉会長には永い間、本当にありがとうございました。」
また、この時、池田名誉会長は概略以下のことを述べた。
「この席をお借りして明確にしておきたいことがございます。それは本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。
私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん思ったりすることも謗法なのであります。
在家の身は、御本尊に南無し奉り、御僧侶を通して、日蓮大聖人に御供養申し上げることが肝要なのであります。
僧俗和合でなければ、広宣流布というものは絶対にできないということであります。これは、創価学会の大原則であり、愛宗護法の精神は、すなわち学会精神の第1義であると銘記されたいのであります。」
この後、日達上人は、学会の反省の様子を身つつも、その反省を受け入れて、協調していくという方針を打ち出されたのである。
5月29日、寺族同心会の折、大講堂において、
「向こうの出方を待つ、すなわちこれから先、どういうふうにしていくかを待つつもりであります。
学会を受け入れていくという方針のもとに進んで行って頂かなければならないのであります。
学会にいまだに間違ったことがあるのならば、宗務院、内事部のどちらにでも言ってきて下されば、改めさせていく。
今年の5月3日以前のような態度であっては宗門としてはまことに困るのであります。」(以上抜粋)
と述べられたのである。
この日達上人の、学会に対する方針が、明確に打ち出されると、それまで学会の教義逸脱を強く破折してきた宗内の若手僧侶の間に、少しずつ不満の声が上がり始めた。
そのような宗内情勢の中、7月22日、日達上人は御遷化あそばされたのである。
法燈を継承あそばされた日顕上人は、日達上人の意を受け継がれて、学会の反省を見守る方針を取られた。これに対して、若手の活動家といわれた僧侶が反発し、やがて埋めることができない深い溝を作っていくことになるのである。
一方、この頃、学会のほうでも、顧問弁護士の山崎正友、教学部長の原島嵩等の内部からの造反者が出て、「いずれ宗門とは、手を切るべし」と書かれた北条報告書等の学会の機密文書が、次つぎと暴露された。
この時期、池田名誉会長は、宗内の活動家僧侶や檀徒から糾弾され、外部のマスコミからも散々に非難の記事を書かれた。マスコミからは、この後、月刊ペン事件や山崎正友の3億円恐喝事件などで、しばらく攻撃されることとなる。
(4) 所感「恩師の二十三回忌に思う」
活動家僧侶とマスコミによる、内外からの学会への非難の嵐が続く中で、日顕上人は、活動家僧侶の血気を抑え、学会の反省を見守る姿勢を貫かれた。このような日顕上人の慈悲に守られながら、学会は第2代戸田会長の23回忌を迎えたのである。
その23回忌を迎えるに当たり、池田名誉会長は、昭和55年4月2日、「恩師の二十三回忌に思う」と題して、所感を『聖教新聞』に載せた。
「恩師戸田城聖先生が逝いて二十二年──桜花薫総本山大石寺において、第六十七世日顕上人の大導師を賜わり、二十三回忌法要を営むことができえますことを、戸田門下生を代表して、心より御礼申し上げるものでございます。」
このような書出しで始まるこの長文の「所感」には、全体に真摯な反省の辞が述べられている。以下に概略を記す。
「近年の宗門との問題が昭和四十七年、正本堂建立以降の、学会の広布第二章の進み方の基調と、そのうえで、私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります。(中略)しかしそのなかには、たしかに創価学会中心主義的な独善性もあり『学会が主、宗門が従』というような状況もありました。その結果、宗門の一部御僧侶に、この方向が、学会が独立を企図しているの ではないかとの疑念を生ぜしめ、また、会内にいわゆる 『北條文書』などのような感情的な議論のあったことは、まことに申し訳なく思っております。
もとより、日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります。(中略)ただ、私が、恩師の『創価学会の歴史と確信』の理念、方向性を実践した延長とはいえ、その深き意志も解せず、僧侶、寺院の役割を軽視し、その結果、御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだことは、我が身の信心未熟のゆえの慢と、大御本尊に心より懺悔申しあげるものであります。(中略)この点、御書の拡大解釈や逸脱については、すでに『六・三〇』(教学上の基本問題について)に指摘されております。ここで反省し、確認された事項は、今後とも絶対に踏み違えてはならない重要な規範であります。したがってこの徹底を怠ってはならないし、また、正宗の正法正義を正しく学んでいくことは、世々末代にわたる肝要と深く自覚しなければなりません。(中略)申すまでもなく、末法の御本仏は日蓮大聖人ただお一人であらせられ、また、代々の御法主上人は、唯授一人、その遣使還告のお立場であらせられると拝し、尊崇申し上げるものであります。
私どもは、瞬時たりとも、この原点を忘れては信心の筋道を違えることになってしまいます。(中略)また、今日の種々の問題も、私の指導性の不徳のいたすところであり、多くの会員信徒に多大なご迷惑をおかけし、ご心労をわずらわしたことについても、御本尊に深くお詫びの合掌をさせていただいている日々でもあります。
ともあれ学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。(中略)恩師二十三回忌にあたり、懐かしくも尊い恩師の教えを胸に、三十三回忌を目指して、私なりの立場から、広布に身を捧げ、御宗門の外護に尽忠させていただくことを、ここに、大御本尊にお誓いするものであります。」
以上、昭和52年1月15日の池田会長の「仏教史観を語る」に代表される、創価学会の52年路線とその破綻について、順を追って述べてきた。
53年の「6・30」「11・7」、55年の「恩師の二十三回忌に思う」等によって、学会及び池田名誉会長が、何を謝罪し、何を懺悔したか、ここに明白になったと思う。
なお、学会への対応について、正信会が、意見の相違から、日顕上人及び宗務当局の意に従わず、東京の日本武道館において、第5回檀徒大会を強行開催したのは、戸田会長の23回忌から5箇月あとの8月24日である。その後、日顕上人の血脈否定に至るのは、更に数箇月を経てのことである。
6.結びとして
昨年(平成2年・1990年)の「11・16」の、池田名誉会長の52年路線に関する発言は、
「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ……」
というものであった。この発言が、いかに事実と反しているか、これまで述べてきた経過によって明らかである。
以下、昨年12月13日の、宗務院からの「お尋ね」の中、該当部分を記しておく。
「この発言は事実に反するばかりか、宗門に対する怨念すら窺われる内容であり、52年路線に見られた教義上の逸脱への反省が、全く忘れられているように思います。(中略)
『会長を辞めさせられ』『宗門から散々にやられ』と公言するのは、まったく自語相違であります。よって、この発言を撤回し、改めて自らの意思で辞任したことを表明すべきであります。
また、52年路線の学会問題から正信会問題へと移行する史実の取り扱いについてでありますが、史実としては、創価学会の52年路線という教義上の逸脱があり、それに対する宗門からの戒めと学会の反省があったことは、先程来引用の名誉会長の所感やスピーチによっても明らかであります。この反省を前提として、御法主上人が、創価学会、並びに池田会長を守られたのであります。
しかるに、正信会の輩は、これを不服として血脈二管論等に代表される血脈否定の大謗法と、それに伴う教義上の異説を唱えたために、宗門から擯斥されたのであります。
ところが近年、名誉会長のスピーチの中で、かつての宗門問題を取り上げるとき、『僧という立場、衣の権威を利用して、健気に信行、学にいそしむ仏子を謗法呼ばわりし、迫害した悪侶らがいた』という趣旨のことが言われております。すなわち、創価学会における教義上の逸脱を覆い隠し、学会にはまったく非がなかったような言い方をしておりますが、これは、正信会の名を借りて宗門を批判し、会員に宗門不信を懐かせることを目的としているように思います。また、正信会に関することを述べる場合、学会の逸脱の問題から述べなければ、信徒に事実と反する誤認を懐かせ、宗門や寺院、僧侶等に対する不信を招く結果となることは明白であります。」
これに対して、学会は、以下のように回答してきたのである。
「ご指摘の昭和53年11月7日の全国教師総会並びに創価学会代表幹部会における挨拶及び昭和55年4月2日の『恩師の23回忌に思う』の所感は、現在もいささかも変わるものではございません。
ただ、10年前の一連の問題の経過の中では、山崎正友、原島嵩宗内一部僧侶(後の正信会僧侶)等による学会攻撃と名誉会長追い落としの策謀があったことはまぎれもない事実でございます。池田名誉会長は、その点から会長を辞めさせられたということを述べているのであり、また、後世への戒めとして、そのような反逆者、退転者の本質を厳しく弾呵しているのであります。」
この回答が、いかに問題点をぼかし、すり替えた、不誠実な回答であるか、今までの経緯を追ってみてくれば明らかである。
この不誠実な回答に対して、宗務院は、1月12日付で、「誰の策謀があろうとなかろうと、52年路線という学会の教義上の逸脱を主とする一連の問題は、『恩師の23回忌に思う』の中に『私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります』とあるとおり、やはり当時会長であった池田氏の指導に原因があったことは否めません。」
と、厳しく指摘したのである。なお、これについては、『大日蓮』号外に詳細が記されているので、ここでは省略する。
学会の回答にあるように、「恩師の二十三回忌に思う」の所感が、現在も、いささかも変わるものでないならば、以下の言葉を改めて思い起こし、深く反省すべきである。
「御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んだことは、我が身の信心未熟のゆえの慢と、大御本尊に心より懺悔申し上げるものであります」
「永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。」
「懐かしくも尊い恩師の教えを胸に、三十三回忌を目指して、私なりの立場から、広布に身を捧げ、御宗門の外護に尽忠させていただくことを、ここに、大御本尊にお誓いするものであります。」
大御本尊に懺悔し、大御本尊に誓った約束を、ことごとく破った池田名誉会長に、もし、このまま反省懺悔がなければ、遠からずして仏罰が下らんか、と恐れるものである。
以 上
