日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

ローソクに火を灯す理由

 御本尊様に勤行唱題するときは、必ずローソクに火を灯します。理由は、私達が生きていく未来を、明るく照らすために行います。また、御先祖様の来世に於ける人生を、明るくする働きもあるのです。
 ローソクの蝋が白いのは、白い霧が人生の行く手にかかっており、ローソクに火を灯すことで、蝋が溶けて白い霧を完全に払うことが出来、未来を明るく照らすことを意味します。
 ローソクの蝋には仏法上、人生を揺さぶる悪縁などを意味し、また宿習や宿縁・宿業などを指します。間違った先入観や固定観念も蝋の固まりになります。ローソクに火を灯すことにより、悪い因縁を消滅させ、安心して成仏を目指すことが出来ます。更に、線香も供えることで効果が倍増します。
 蝋はすぐには溶けません。火を灯してから時間が必要です。時間が必要であるということは、持続する信心、「水の信心」が不可欠であるということです。そこに「冥益」へと通じる原理があります。人生の闇は、すぐには晴れず、時間を要します。落ち着いて冷静になり、蝋が溶けるように、気長に時を待つ気持ちが大切です。そこに、耐え忍ぶという「柔和忍辱」の精神が養われます。
 蝋が溶ける様子は、時間が経過しなければ解りません。長い人生も、移り変わりの激しい状態を、一時的な観点から判断するのではなく、蝋が溶けるように、長い時間のなかに、様々な様子を窺い知ることが出来ます。蝋は、音を立てることなく、いつの間にか溶けていきます。溶けるところに、「禅定」という意味が具わり、私達も信心をする過程において、御本尊様からローソクの蝋が溶けるような静けさのなかで、有り難い「冥益」を確実に頂いているのであります。
 仏法上、火の意義について『御義口伝』には、
 「火とは法性の智火なり。火の二義とは、一の照は随縁真如(ずいえんしんにょ)の智なり。一の焼は不変真如(ふへんしんにょ)の理なり。照焼の二字は本迹二門なり。さて火の能作として照焼の二徳を具(そな)ふる南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは生死の闇を晴らして涅槃の智火明了(みょうりょう)なり。生死即涅槃と開覚するを「照は則ち闇(やみ)生ぜず」と云ふなり。煩悩の薪(たきぎ)を焼いて菩提の慧火(えか)現前(げんぜん)するなり。煩悩即菩提と開覚するを『焼は則ち物生ぜす』とは云ふなり。爰を以て之を案ずるに、陳如(じんにょ)は我等法華経の行者の煩悩即菩提・生死即涅槃を顕はしたり云云」(御書1721)
と仰せであります。火には「照と焼」があり、人生を明るく照らす火の意味と、人生の迷い悩みとなる煩悩を、消滅させ焼くという火の意味があります。御題目を唱えることで、生死の闇を晴らし、智慧の火を御本尊様から頂いて、灯しながら歩むところに、成仏の境界「常寂光土」があるのです。
 ローソクの蝋は、貪瞋癡の三毒や三惑の見思惑・塵沙惑・無明惑を意味し、火を灯すことにより、私達の心の毒と惑いを溶かし払うという意味もあります。
 以上の意味から、勤行唱題では御本尊様に、ローソクに火を灯すことが非常に大切なのであります。