日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

行学の二道をはげみ候べし

 日蓮大聖人は、行学の二道を励むよう『諸法実相抄』に、
 「行学の二道をはげみ候べし。行学た(絶)へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。」(御書668)
と仰せであります。非常に有名な御文であり、私達が一生成仏する上で、心に銘記し忘れてはいけない文証です。
 信心は、行学という「修行」と「教学」が必要不可欠です。その御指南が『諸法実相抄』であります。仏法と呼ばれる理由に、「信行学」が存在し、信じているだけであったり、中身のない形式だけの修行だけであっては、本当に信心をしているとはいえません。また教学だけ身に付いているだけでもいけません。持ち難い理由が以上の点にあるのです。
 信心には「無解無信」「無解有信」「有解無信」「有解有信」という四種類の人がいます。成仏できるのは、「無解有信」と「有解有信」です。「無解無信」と「有解無信」は成仏できません。「無解無信」は、成仏し難い四種類の人であり、決定性(けつじょうしょう)の二乗、一闡提人(いっせんだいにん)、空心の者、謗法の者が「無解無信」になります。
 「無解有信」は信じることにより、御本尊様から智慧を得て、理解していくため成仏します。「有解有信」は、信心があって仏法を理解しているため、確実に成仏します。
 しかし、「無解無信」は信心もなく、理解をしようとしないことでは、当然、成仏できません。「有解無信」は、学ばかりで、特に信心修行を全くしない、学者に多く見られます。
 私達の信心は、「無解有信」か「有解有信」になることが大事です。つまり「有信」です。信心を根本とした、行学の二道が更に必要になります。「有解有信」が信心において理想的ですが、「無解有信」の人は、解がない分、行で補い努力し精進すれば、無解が有解へと「冥益」により変わってきます。故に「行学は信心よりをこるべく候」と仰せのように、「有信」により行学が自然と力を付けていくのであります。「無解有信」の人は、信心を持続するところ、「有信」により、自分の長所が活かされる利益を得ることが出来ます。
 行学の二道をはげむには、「我もいたし人をも教化候へ」と仰せのように、自行だけではなく、折伏という化他行も必要になります。世間では、行学の二道を志す人が少ないために、安定しない世の中になっています。安定させるには、信心をしない人に教化して仏法を教え、行学の二道を励ませることが大事なのです。
 「行学」とは、具体的に行が御本尊様に向かう勤行唱題と折伏、学が日蓮大聖人の仏法を学ぶことです。信は、行と学を深めていくことで、更に強盛な信心となります。そして不退の位になり、成仏へと通じていくのであります。
 行学の二道をはげむ大切な場所は、日蓮正宗の寺院であります。