日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

臆病にては叶ふべからず

 人間の心理として「臆病」という、臆する気持ちが縁に触れ生まれるものであります。意味は、ちょっとした物事にもおそれることで、一般的に、使われるところには、消極的で行動力のない、ひ弱な印象があります。
 日蓮大聖人は折伏の姿勢について『教行証御書』に、
 「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何(いか)に況(いわ)んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや」(御書1109)
と御教示であります。臆病になることなく毅然とした態度で、折伏するように仰せです。
 「臆病」について、考えてみましょう。まず、気持ちのなかに自信がないときに生まれます。不安や恐怖が、心の中を支配するとき臆病になります。臆病にならない方法は、不安や恐怖を取り除くことが大事です。つまり、信心においては、御本尊様に勤行唱題をすることで、自信を付けて、不安や恐怖心を払拭させることが出来ます。
 具体的な方法は、勤行唱題のなかで取り除きますが、臆病となる要素には、縁に触れて、不安や恐怖が生まれますので、その「縁」に対して動じないよう、「禅定」を意識し、更に御本尊様から強靭な精神を涌現させて頂くことで解決できます。心の中で、はじめは葛藤があります。この心の中で起こる葛藤に忍ぶことで、忍耐力が身に付き、不安と恐怖に自然と身心が慣れてきて、克服していくことが出来ます。焦らずに地道に臆病を取り除くことです。また緊張感も緩和できます。
 その他の方法として、一度、臆病になる事柄を完全に忘れ、自信を持って出来ることに集中し、その自信で臆病となる不安や恐怖を徐々に取り除いていき、自信を付けていきます。
 「臆病」とは、もう一つの見方として、生命に危険をさらさないための本能的な防衛機能であります。善知識と考えた場合には、有り難いところもありますので、準備を調えてから行うようにという警告と考えれば、臆病というものも必要であることが理解できます。臆病という言葉に対して、コンプレックスを持つ方には、準備を調えてから行うという警告と考えることが大事です。そこから、自分自身の劣等感から脱出することが出来ます。
 以上の考えは、御本尊様に勤行唱題するところに、臆病という心の迷いを取り除く力があります。信心をしないところには、臆病という心的障害が重くなり、縁に触れてすぐにまた臆病になる姿が多くなります。それがきっかけで、今まで自信を持って出来たことまでが、自信を失い臆病になることもあります。心の病を本当に改善するには、日蓮正宗の信心しかないのです。
 臆病は、一人で悩むところにあります。経験豊かな人と多く交わるようにして、不安や恐怖を取り除く方法を身に付けることです。その有り難い場所が、日蓮正宗の寺院になります。年齢層が非常に豊かであるために、一寸した心の迷いもすぐに解決できます。臆病な心は、寺院へ参詣して智慧を身に付けるところにあるのです。寺院で行われる御講や唱題行に参加することで、様々な方法を学ぶことが出来ます。
 臆病な気持ちを体験することが、折伏に活かされていき、人生に自信を失った人を救う使命があることに気が付きましょう。臆病を克服し、不安や恐怖を取り除き、その経験がすぐに折伏へ通じる智慧に変化し、地涌の菩薩としての使命を御本尊様から頂くことが出来ます。