日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

怪文書や誹謗中傷記事について

 時々、宗内を混乱させることを目的とした、怪文書や誹謗中傷記事が掲載された文章が飛び交います。これらは、似非信心による書く本人の主観が論じられています。つまり、仏様が仰せになることではありませんので信じる必要はありません。あくまでも、時の御法主上人に信伏随従した信心に徹することを忘れないようにしましょう。
 怪文書などは、師子身中の虫的作用を為し、正しい信心を迷わす働きがあります。破和合僧を狙うものであり、魔の働きです。怪文書は、一面、論理的で文章能力に長けた部分を見せますが、血脈相承の上から相当に逸脱し、我慢偏執が根強く入り込んでいます。命終に無間地獄が待っている哀れな衆生であります。日蓮大聖人は『立正観抄』に、
 「当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず。相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。」(御書770)
と仰せのように、如何に勝れた知識や能力が身に付いていても、血脈相承だけは知ることは出来ず、血脈相承を信じることが出来なくなった結果です。 
 私達は、慈悲の心をもって、怪文書を書かれる人の行く末を見守り、折伏することが皆無でありますので、御本尊様にお任せする以外にありません。怪文書を著作される人は、身分を明確にすることに勇気が無く、日蓮大聖人の「不自惜身命」の精神がないために出所を明かしたがらず、偽名や仮名を用いてきます。そのため、折伏が難しくなっております。
 怪文書の働きは、信心を動揺させることを目的とします。信心の弱い人は、動揺して信心がぐらつきます。しかし、信心強盛な人は、怪文書を書く人の心理を深く洞察する能力が、日々の勤行唱題により出来上がっておりますので、動揺することなく、哀れな衆生であることを理解していきます。
 怪文書を書く本人も十分な資料を集めた結果、日蓮大聖人の御精神と称しながら、自分の主観を根拠に論理を展開します。影には「摧尊入卑」が窺えます。相手の陥りやすい盲点を心得ており、邪智に満ちた論法を振りかざしてきます。怪文書の教学面においては、能所の立て分けに混乱している部分が拝見できます。つまり、御法主上人に身口意の三業が信伏随従している人には、全く効き目がありません。逆に、怪文書は教学の無さを露呈していると教えています。
 しかし、何でも信じやすい人が餌食になる可能性を持ち、日頃から、日蓮正宗の正しい情報を知り教学を学ぶことが大事です。学ぶことで、怪文書に対する抵抗力を身に付け、怪文書の存在を信心に立って正しく見ていくことが出来ます。毎月一度は、日蓮正宗の寺院参詣を習慣付けていれば心配ありません。怪文書の存在を正しく理解することで、更に信を深めることができます。怪文書は一種のインフルエンザ的存在です。人によっては、動揺が生まれる場合があります。日蓮大聖人の御精神に近付くために有り難いものでもあります。
 怪文書は、どの様な目的で出されているのか、十分にその背景を探ることです。怪文書は、文証だけです。信心では、理証と現証が大事です。文証だけで信じることの無いように精進することが大切です。全ての怪文書は、文証が存在しても、理証と現証が存在しないものがあります。この点を見失わないことです。見失うと信じてしまい、正信をなくし悪道に堕ちます。大聖人も『三三蔵祈雨事』に、
日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。」(御書874)
と御教示であります。この御指南を身口意の三業に深く刻んで怪文書や誹謗中傷記事に触れることが大事であり、凡眼凡智で読むことの無きよう注意したいものです。
 「下種三宝」を疑うことなく信じるところ、怪文書に紛動されない信心に根ざすことが出来ます。