日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

自分の修行である「自行」

 「自行」とは、自らおこなう行です。つまり、自力本願という、自分の力を頼りにして修行することで、他力本願でないことを証明しています。化他行が加えられると、自他冥合となり、自力と他力のプラス面を向上して成仏に向かい、修行に磨きをかけます。
 日蓮正宗の「自行」が勤行唱題です。法華経の方便品第二と如来寿量品第十六を読誦して、御題目の南無妙法蓮華経を御本尊様に唱えていくことです。
 私達の生活の場に、「自行」があります。勤行唱題を基本に、生きていく中に自らが行う修行が存在するのです。
 「自行」の目的は、生きる目標を成就させることです。つまり成仏を目指して行くことになります。日蓮大聖人の仰せになることを信じれば、成仏は疑いありません。生きていく上で、妨げとなる働きを上手くかわし、目標を大成させていきます。
 勤行唱題に、大成させるための秘訣が隠され、御本尊様が智慧を下さるのです。迷える私達の凡眼では、自ずと限界があり、その限界を感じたときに、迷いや悩みが自然と生まれます。ここを回避し、道を開くのが、日蓮正宗の信心であり、「自行」という勤行唱題によって、塞がれた道を御本尊様の力用で開くのです。
 人生には、多くの扉があり蓋(ふた)がされています。それを「五蓋(ごがい)」といいます。「自行」において、五つの蓋を開いて人生を歩んでいきます。
 「五蓋」とは、衆生の心を覆い隠し、善法の心を生じさせないようにする五つの煩悩です。「五蓋」は悪道に縁付ける作用があります。
 蓋とは、蓋覆(がいふく)の義。五つの煩悩とは、貪欲蓋・瞋恚蓋・睡眠蓋・掉悔(じょうけ)蓋・疑蓋です。
 貪欲蓋とは、五欲に執着すること。瞋恚蓋とは、いかり、うらむこと。睡眠蓋とは、身心共に眠ったり、積極的に働きかけようとしないこと。掉悔(じょうけ)蓋とは、掉は心がせわしく動くことで、悔は悔い憂いて心が沈むこと。疑蓋とは、法に対して疑い迷うこと。私達が生きていく人生には、これらの「五蓋」という、人生の行く手を阻む蓋がしてあります。
 この蓋は、貪瞋癡の三毒が根本的な原因です。貪瞋癡の三毒は、御本尊様に向かって勤行唱題を行わなければ、心の汚れ三毒を綺麗に洗い流すことは出来ません。
 日蓮正宗の「自行」で、五つの蓋を御本尊様から開けて頂くことが出来ます。五つの蓋が、現実で複雑に絡み合って存在します。とても私達の迷い多き凡智凡眼では、世の中を明らかに見ていくことは不可能です。この不可能を「自行」という修行で可能に変えるのです。御本尊様に向かって合掌する姿勢に、その閉ざされた道を開くことが出来るのです。疑うことなく、信じるところに道が開かれます。
 毎日の勤行唱題が「自行」となり、人生の扉を必ず開きます。