日蓮正宗の信心修行において、「難行苦行」は全く必要ありません。他宗派では、滝に打たれたり、断食をしたりと、辛く厳しい「難行苦行」を行います。
今現代の末法という時代は、「難行苦行」が無意味です。私達の機根に相応しくありません。「難行苦行」を行った場合、生命を危険にさらし、幸せを得るはずの修行が全て無駄になるのです。正しい仏法に基づき修行をすることが大事です。
また、現代は私達の生活の中に、多くの苦しみがあります。わざわざ「難行苦行」という辛い修行をしなくても、人生の中に多くの修行の材料があります。
日蓮正宗の信心修行は、現実生活に密着した観点に立ち、生きていく苦しみを修行の材料にし、苦しみを乗り越えることで、幸せになるという教えです。それが日蓮正宗でいう「信心即生活」であります。
生きていく生活の場が、修行の道場であり、御本尊様に向かうことで人生の苦悩を和らげていきます。それが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という、日蓮大聖人が御指南下さる有り難い法門です。
日蓮大聖人は「難行苦行」が無意味であることを『三世諸仏総勘文教相廃立』に、
「権教は難行苦行して適(たまたま)仏に成ると思へば、夢中の権の仏なれば、本覚の寤の時には実の仏無きなり。極果(ごくか)の仏無ければ有教無人なり。況(いわ)んや教法実ならんや。之を取りて修行せんは聖教に迷へるなり。此の前三教には仏に成らざる証拠を説き置き給ひて、末代の衆生に慧解(えげ)を開かしむるなり」(御書1410)
と御教示であります。権教という方便の教えには、「難行苦行」がありますが、正法を修行する上での妨げになり、成仏できないということです。日蓮大聖人は、「難行苦行」を修行する人々に無意味であることを仰せになられ、大慈大悲の上から末代に一番相応しい、慧解という「文底下種仏法」を末法の私達に説かれたのであります。
その修行が、御本尊様に向かって御題目を唱える修行です。私達の生活に密着した修行です。「難行苦行」は、生活からかけ離れた部分があり、一切衆生を救済するという観点に立つ場合、多くの問題が生まれ、一部の人に限られ、本来の仏様の御精神から逸脱することになります。仏様は、一切衆生を救うことが目的です。「難行苦行」は一切衆生を救済しきることが不可能です。ここは、「難行苦行」の欠点です。日蓮正宗の修行は、この問題を回避し、全ての人々が修行しやすい方法を駆使しています。
「難行苦行」は、間違った不幸になる人師に随うところにあります。「難行苦行」は、歓喜というよろこびを失わせ、不幸になる根本原因であり、地獄に行く修行です。「難行苦行」を有り難がる人達は、以上のことを冷静に考え直し、正しい仏法が説かれる、日蓮正宗に入信することを念願します。そして、未だに「難行苦行」に執着している人を折伏することです。折伏をして、正しい成仏の直道を得られる教えを施すことで、本当の幸せを御本尊様から功徳として頂けます。
現代の正しい修行は、「難行苦行」ではなく、三大秘法の御本尊様に向かって勤行唱題し、正しい仏法を弘める折伏です。日蓮正宗の寺院において、正しい修行が出来るのです。
