日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

十四誹謗を止める信心に成仏あり

 日蓮大聖人は『松野殿御返事』に、
 「有る人此を分かって云はく「先に悪因を列(つら)ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に慢(きょうまん)・二に懈怠(けだい)・三に計我(けいが)・四に浅識(せんしき)・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信・八に顰蹙(ひんじゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善(きょうぜん)・十二に憎善(ぞうぜん)・十三に嫉善(しつぜん)・十四に恨善(こんぜん)なり」と。此の十四の誹謗は在家出家に亘(わた)るべし。恐るべし恐るべし。」(御書1046)
と十四誹謗について御指南です。悪の因となる、十四の正法誹謗を行わないところに、最高の境界である即身成仏があります。十四誹謗を行うところに不幸となる迷いや悩みがあります。十四誹謗を止めれば自然と御本尊様の功徳により、迷いや悩みが無くなります。信心では、勤行唱題で十四誹謗を行わないように意識することが大事です。
 十四誹謗の意味は、信心を蔑(ないがし)ろにし、正法に対する十四種の謗(そし)りです。
 ①慢とは、正法に対して驕り、あなどること。つまり自惚れである慢心です。
 ②懈怠とは、仏道修行を怠ること。信心である勤行唱題や折伏をしないことです。
 ③計我とは、正法を自己の考えで推し量り、我見に執着すること。御本尊様を人生の指針とせず、自分自身の考えを優先させることです。
 ④浅識とは、正法を自己の浅い知識で判断し、より深く求めないこと。浅い知識では、複雑な世の中も限られた一部分しか見えません。人生の盲点を  見落とすことになり、そこから不幸の原因が生まれます。
 ⑤著欲とは、欲望に執着して正法を求めないこと。欲望に本心を奪われることは、正しい人生を歩むことが出来ません。正法を求めず欲望に執着する人は、人生の迷いや悩みを誘発し活発化させ堕落していきます。
 ⑥不解とは、正法を理解しようとしないこと。御本尊様に巡りあえた有り難さを理解しないことです。
 ⑦不信とは、正法を信じないこと。信心しないことで、御本尊様や日蓮大聖人の教え、御法主上人の御指南を信じないことです。また末寺の御住職様の御指導を信じないことでもあります。
 ⑧顰蹙とは、正法に対して顔をしかめ、非難すること。素直さや正直さがなく、心が曲がっている証拠です。
 ⑨疑惑とは、正法を疑い、惑うこと。疑いや心の惑いは成仏の妨げになります。
 ⑩誹謗とは、正法を謗ること。「正法誹謗」という言葉があるように、正法に対する誹謗は、無間地獄に堕ちます。
 ⑪軽善とは、正法を信受する者を軽蔑すること。信心する人や日蓮大聖人の教えを軽んじ見下げることです。
 ⑫憎善とは、正法を信受する者を憎(にく)むこと。
 ⑬嫉善とは、正法を信受する者を嫉(ねた)むこと。嫉妬心を燃やすことです。
 ⑭恨善とは、正法を信受する者を恨(うら)むこと。
 以上が十四誹謗の意味です。日蓮大聖人は『念仏無間地獄抄』に、
 「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(御書39)
と説かれています。御本尊様に対し、信じる気持ちがなくなるところに、根本的な十四誹謗をおかす原因があります。勤行唱題では常日頃から、十四誹謗をおかさないように精進することが大事です。更に折伏で他の十四誹謗を止めることが必要です。折伏で十四誹謗を止めるところに、日蓮大聖人の御精神「立正安国」があります。