日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

外面似菩薩 内心如夜叉に御用心

 邪な智慧に長けて人生を生きる人には、巧みに外見を尊い菩薩のように取り繕い、心の中では、人間とは思えない、夜叉といわれる悪鬼が考えるような考えを持ち、迫真の演技で振る舞い、人を騙しながら生きる人がいます。それが「外面似菩薩 内心如夜叉」です。凡眼だけに頼り、信心をしないため騙され不幸な一生を過ごす人もいます。
 末法時代の現代は、このような人が世の中に横行する時です。信心では、「外面似菩薩 内心如夜叉」には充分に用心することで成仏の要因が積めます。
 具体的にどの様なところに存在し、私達に関わってくるのか考えますと、悪徳商法や上手い儲け話を持ちかけて詐欺師をはたらく人です。
 本来の「外面似菩薩 内心如夜叉」の意味とは、外見が綺麗な女性であって、様々な宝飾で全身の美しさを引き立て、心の中では鬼のような恐ろしいことを考えている人という意味です。そして仏道に志す気持ちを蝕んでいくときに引用されます。心が貪る餓鬼界であり、見た目が菩薩のような高貴に装っています。多くの人は第一印象で人を判断する傾向がありますので、第一印象を相手に強く印象付け、心を操っていき相手の所有物を貪ります。人の盲点を知り尽くしているのが、「外面似菩薩 内心如夜叉」という衆生です。
 善知識と考えた場合、成仏において有り難い存在です。人の機根を分析する力が養われます。本心を探り当てられないように「外面似菩薩 内心如夜叉」を有している人は振る舞います。素直さと正直さに欠けるため生命が濁っています。見破る秘訣は、共通して三毒が強盛であるということです。外見と心である内面が一致している人は、三毒が殆どありませんし生命が綺麗です。しかし「外面似菩薩 内心如夜叉」の生命になっている人は、貪瞋癡が旺盛です。純粋さに欠け五濁爛漫な末法衆生であることを露顕します。ここを見逃さないように「外面似菩薩 内心如夜叉」という機根を持った人と対人関係を上手くすることです。そして忘れてならないことが逆縁を結び折伏することです。
 要するに謗法の命であり、信心をしなければ「外面似菩薩 内心如夜叉」の命は治りません。逆縁を結び一時的に距離を置き、付き合うことを止めることです。信心においては「防非止悪」を心得ましょう。「外面似菩薩 内心如夜叉」の人と付き合いを断つには、ひたすら御本尊様に勤行唱題するにつきます。御本尊様に向かう姿勢を習慣付けることが大切です。
 「外面似菩薩 内心如夜叉」の人は、相手の欲望に関わる動向を分析する能力に秀でています。この分析力という秀でた能力に酔いしれているため、善悪の判断力が破壊されています。つまり「悪鬼入其身」し、命が貪欲に汚染されています。
 特に男性は、「外面似菩薩 内心如夜叉」という女性には気を付けなければいけません。人生を奈落の底に突き落とされます。金銭はおろか生活全てを吸い取られます。日蓮正宗において毎日御本尊様に勤行唱題するところ、事前に「外面似菩薩 内心如夜叉」の人に近づけない力があります。たとえ接する機会があったとしても、貪るという餓鬼界の命に悩まされることはありません。そこに御本尊様の尊い力用である冥の照覧があります。
 仏教において特に法華経以前の爾前権教では、女性は修行の妨げとなり成仏できないと説きます。また女性自身も宿業が深いために成仏できないと説かれます。しかし、法華経において成仏が許されます。つまり『提婆達多品第十二』に説かれる竜女の「女人成仏」です。日蓮大聖人は『主師親御書』に、
華厳経には『女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断ず、外面(げめん)は菩薩に似て内心は夜叉(やしゃ)の如し』と。文の心は女人は地獄の使ひよく仏の種をたつ。外面は菩薩に似たれども内心は夜叉の如しと云へり。又云はく、一度女人を見る者はよく眼(まなこ)の功徳を失ふ」(御書51)
と仰せです。法華経以外の経典では女性は忌み嫌われ、様々な悪業を背負って生まれてきていると説いています。日蓮正宗に入信しなければ全ての女性は成仏できません。他宗では、釈尊が説かれるように女性は成仏できないのであります。
 信心をして「外面似菩薩 内心如夜叉」の衆生に翻弄されない精神を養いましょう。