末法時代は、闘諍堅固(とうじょうけんご)といわれ釈尊の仏法が衰え、互いに仏教同士が争う時代です。正法時代と像法時代が過ぎた後に到来するのが末法時代です。
末法時代は、釈尊の仏法では救われない本未有善の人々が生まれる時代です。末法は釈尊在世と正法時代や像法時代と異なり、人々の命が濁り汚れ、正直さや素直さが薄れるときです。釈尊の仏法はある程度、正直さや素直さと心が綺麗な人に効果がありましたが、末法といわれる現代は、心が複雑に曲がり正直さや素直さが欠如し、他人に対して反抗心が強盛になる時です。そのために、釈尊の仏法ではなく、末法時代に一番相応しい仏法でなければいけません。釈尊は『法華経薬王品』に、
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して」(法華経539)
と説かれるように、末法時代に相応しい仏法が弘ることを予言されております。
末法に相応しい仏法とは、釈尊が上行菩薩である日蓮大聖人に付嘱した秘伝であり『御義口伝』に、
「今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(御書1732)
と仰せです。正法千年・像法千年と違い、末法では御本尊様に御題目を唱える修行が一万年続くという御指南です。釈尊から付嘱された秘伝が、御題目の南無妙法蓮華経であります。この御題目を唱える修行が末法時代に一番相応しいのです。そして折伏をして、末法時代に相応しくない仏法を正していく時でもあります。法華経本門文底下種の南無妙法蓮華経以外の修行は全て無意味です。小乗経や権大乗経では、正法誹謗という業を背負い悪因を積み地獄に堕ちます。悩みや迷いの病を治す、薬の効力が弱いために、強力な薬を末法時代で新たに弘めなければなりません。その強力な薬が御題目の南無妙法蓮華経です。御本尊様にひたすら唱えることで迷いや悩みが解消されます。他宗派を信仰していて御利益がないと歎いておられる方は、仏法の薬の効力が弱っていますので、いち早く今までの信仰を止め、日蓮正宗法華講に入講され信心することをお勧めします。
『上野殿御返事』に、
「末法の始めの五百年に、法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は、仏説なりとも用ゆべからず」(御書1359)
と御指南のように、御題目の南無妙法蓮華経を唱える以外の仏説は、用いていけないと仰せです。つまり、御題目以外の仏法は薬が弱いために効き目が全くないということであります。
『妙法比丘尼御返事』に、
「末法に入りて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪上(そうじょう)の土よりも少なしと説かれたり」(御書1268)
と仰せの如くに、世の中は法華経を信じず、法華経よりも効力が弱い経典を修行している宗派が殆どであります。そのために地獄に堕ちる人は大地微塵よりも多く、法華経を信じ御題目を唱える日蓮正宗の人は、爪の上の土よりも少ないと大聖人が仰せになられたのであります。
末法時代は、様々な宗教や仏教が氾濫する時代です。釈尊がすでに経典で予言されていたことが、現実になっているのであります。そして末法においての正しい修行方法も上行菩薩である日蓮大聖人に全てを付嘱され、日蓮大聖人が仰せになる御指南を身に対して行くところに、人生の迷いや悩みを全て払拭させることが出来ると、釈尊は言い残されたのであります。
その教えは日蓮正宗の寺院で、末法万年といわれる未来まで語り継がれるのであります。末法時代の修行は、御本尊様に御題目の南無妙法蓮華経を唱える時です。
