『御義口伝』に、
「今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉り、権経は無得道、法華経は真実と修行する、是は戒なり、防非止悪(ぼうひしあく)の義なり」(御書1756)
と仰せであります。「防非止悪」は、御本尊様に御題目を唱えるところにあり、他宗他門で説く爾前権教は成仏できず、法華経に於いて真実の修行があり、その修行をすれば、非を防ぎ悪を止める「防非止悪」になるということです。勤行唱題をするところに心の悪を止めることが出来ます。悪い気持ちが生じたときに、すかさず御本尊様に向かうことが大切です。その姿勢が「防非止悪」になります。
この心の悪は正しい判断を狂わす本能的な欲望であり、自分自身の命から師子身中の虫となって生まれるものと、周囲の人や周りの耳に入る情報を縁として命に生まれる場合があります。良心の呵責が機能せず、清浄な命が弱まり濁っておれば、心の悪に負け、善悪の判断が出来なくなり不祥事を起こすのです。悪を起こす人は必ず以上の心の働きがあります。この心の働きを勤行唱題に於いて、明らかに自分自身を常日頃から分析する気持ちを具えていることが理想的です。勤行唱題で「防非止悪」という気持ちを養うことが出来ます。
『第六十七世日顕上人』は、
「戒とは、申すまでもなく『防非止悪』の義であります。悪には、基本的なものとして、殺生・偸盗・妄語・邪婬の四大罪があり、また、十悪の業としては、さらにこれに、悪口・両舌・綺語と貪・瞋・癡の六を加え、さらに、その程度によって、上品、中品、下品等に分けるのであります」
と御指南であります。「悪」には以上のような意味があることを仰せです。更に日顕上人は、
「五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや」との御文は、小乗・大乗の広汎な戒の『防非止悪』と『衆善奉行』の功徳をことごとく妙法五字の本尊に納めているのであるから、妙法五字を受持するところに、あらゆる悪行の罪障消滅と、あらゆる善行の基本が具わるといわれます」
と御指南の如く、御本尊様を受持し信行するところに悪事を防ぎ止めることができます。そして日顕上人は、
「戒ということは『防非止悪』、要するに悪を止め、また善を勧めるという、三大秘法を受持し、自行化他の広宣流布に向かって精進することが善ならば、一切の謗法を止めていくというところに、止悪の姿があるわけであります」
と仰せであり、「防非止悪」は一切の謗法を止めて行くところに、止悪の姿があることを御指南です。そして三大秘法の御本尊様を受持して自行化他の広宣流布に精進することが「善」になります。
御本尊様に報恩感謝申し上げるところに、心の悪を止める「防非止悪」があります。御本尊様への御給仕が報恩感謝することです。
