学会員の主張
宗門には、「僧が上、俗は下」という封建的な、抜きがたい僧俗差別観がはびこっている。
法華講員の答え
宗門には、封建的な僧俗差別観などまったくありません。しかし、全ての事柄に平等と差別の二つの面があることは、仏法の常識です。
※学会員さん、あなたの考えは、間違っています。下の文面をよくお読み下さい。
創価学会は、宗門で発表した文書や発言の中から、僧俗の筋目を説明している箇所のみをとり上げ、むりやり封建的な差別に関する文言だと決めつけ、あたかも、宗門の僧侶が宗教的権威を振りかざし、信徒の上に君臨しているよう印象づけています。
しかし宗門には、もともと封建的な僧俗差別観などありません。
第九世日有上人が、『化儀抄』(聖典九七三㌻)に、
「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり」と仰せのように、僧侶と信徒は勿論のこと、どんな人でも御本尊を拝する姿において平等です。しかし、同抄の次下の文に、
「然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」と仰せられているように、平等の中にも、おのずから僧俗の違いは厳然として存在し、そこにはお互いに、礼儀をわきまえる必要があるのです。
大聖人は、『災難対治抄』(御書一九七㌻)に、
「礼儀を破るは仏の出だしたまへる五戒を破るなり。」
と仰せであり礼儀の大切さを示されています。
いま私達は広宣流布を目指し、御法主上人猊下の御指南の下、お互い励まし合い、助け合い、僧俗一致して、大折伏戦を展開しています。
破門されて以降の創価学会は、宗門を攻撃し続けることでしか、自らを存続させられないのです。ですから、正しい僧俗観を理解しようなどとは全く思っていないのです。
