【破折の要点】
◆池田創価学会の本尊観
創価学会では以前から、御本尊を「幸福製造機」といっていたが、宗門においてはこれを一般信徒に御本尊の功徳を説明するための方便としてうけとめてきた。しかし、ここにきて池田は、「御本尊といっても物体にすぎない」(平成5年5月3日スピーチ趣意)、「妙法の体である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕すためにこそ、御本尊が、こよなく大切です」(聖教新聞平成4年7月5日付)、「御本尊といっても、大切なのは信心である」(平成5年9月7日本部幹部会スピーチ)などと発言している。 これは御本尊を物と見なし、仏界涌現の単なる手段や道具と見下し、御本尊よりも自分たちの心を中心とした己心本尊を正意とする邪説である。 かつて創価学会では、「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(折伏教典321)、「戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」(特別学習会テキスト56)と会員に教え、池田自身も、「絶対なるものは大御本尊のお力である」(広布と人生を語る3-53)、「日蓮正宗創価学会の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人が法水瀉瓶・血脈相承され、現在は、日顕上人猊下に一切受け継がれているのである」(広布と人生を語る1-131)と指導していた。 日蓮正宗の本尊は、『日蓮正宗宗規』に、「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫荼羅を帰命依止の本尊とする」(第3条)と定められており、この正しい本尊を対境とし帰命することによって衆生の成仏が叶うのである。大聖人以来、一貫して変わらない日蓮正宗の本尊義を、自分たちの都合によって変える池田及び創価学会に、成仏など決してあろうはずがない。
◆創価学会作製の『ニセ本尊』について
平成5年9月7日、本部幹部会において秋谷会長は、日蓮正宗より離脱した浄圓寺所蔵の日寛上人の本尊を複写して会員に授与すると発表した。この日寛上人の本尊は、亨保5年に本證房という僧侶に授与されたものであるが、創価学会では勝手にこの授与書き等を削除して改鼠し、一枚刷りに印刷した本尊を作って会員に配った。 この本尊作製は、たとえば精巧なカラーコピー機で紙幣をコピーして「ニセ札」を作る行為とまったく同じである。いかに本物の紙幣と似ていても、政府の許可もなく、日本銀行の発行でもない、自分で勝手に作ったニセ札を使えば、当然、法的に罰せられるのである。 学会の作った本尊はこれとまったく同じ道理で、日蓮正宗法主の許可なく、総本山から下付されたものでもなく、学会が勝手に作製したものであり、『ニセ本尊』であることは明白である。 御本尊については『本因妙抄』に、「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」(新編1684)と示されているとおり、歴代法主上人の血脈相承に関わる一大事である。 創価学会では「自分たちが和合僧団だから資格がある」と主張しているが、では一体、その資格は誰から受けたというのか。もし「広布を願う一念があれば資格が具わる」というのであれば、広布への一念さえあれば、誰でも勝手に本尊を作れることになる。 創価学会2代の戸田会長は、「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華昭和34年7月号)と指導しているとおり、『ニセ本尊』は魔の栖となり、それを拝めば仏法破壊の大罪として現罰をこうむることは必定である。
ニセ本尊破折百問百答(ニセ本尊の詳細について他)
ニセ本尊破折解説 (大白法「創価学会『ニセ本尊』破折100問100答解説」)
◆池田ファシズム
創価学会は近年、しきりに「人間主義」を強調し、『聖教新聞』の紙面にもその言葉が溢れている。創価学会の月刊誌である『大白蓮華』にも次のような記載がある。「人間主義の潮流を社会に」(平成5年7月号)「連続勝利と人間主義の旗を」(平成8年1月号) また、池田自身も、「仏法は人間主義である。私は人間主義である。人間。ただ人間。ひたすら人間を見つめる」(大白蓮華平成5年7月号)と述べ、仏法は「人間主義」であるといい切っている。 その意図は明白である。つまり、人間主義を標榜することによって、創価学会は社会に開かれた宗教団体であり、人間社会の平和を基調として活動しているという印象を学会員や世間に与えるためである。 しかし創価学会の実態は、この人間主義に反し、学会に少しでも異議を唱える者をすべて敵と見なし、組織をあげて徹底的に攻撃を加えるという独善体質である。特に脱会者に対しては、「死ぬまで追いつめろ」などの指導を行い、尾行や盗聴、暴行を加えるなどさまざまな嫌がらせを行っている。これで「人間主義」「平和主義」を叫んでいるのであるから、これほどの偽善、欺瞞(ぎまん)はない。 また会員には、「池田先生は絶対である」との指導を徹底し、「池田先生のため」「池田先生のお陰」を連呼させ、「池田先生=仏」と洗脳している。 まさに創価学会の体質は、池田ファシズムそのものである。 学会は、このような池田ファシズムの思想に染まった学会員を、政界・法曹界・警察・マスコミなど、社会の中枢機関に送り込み、日本はもとより全世界を池田の思いのままにあやつろうと目論んでいる。これを学会では総体革命といっているが、世の人々は社会のこのような危機的状況を認識し、池田の野望を粉砕しなければならない。
◆創価学会と公明党の政教一致
創価学会と公明党の政教一致ぶりは目を覆うばかりである。創価学会は、党の方針や人事にはまったく関与していないというが、平成4年、公明党の連立政権入りがほぼ決まった直後の第69回本部幹部会の席上、池田は、「そのうちデェジン(大臣)も、何人か出るでしょう、もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ」(平成5年8月8日)などと放言している。 しかし池田自身、『人間革命』の中で、「権力と手を結ぶ宗教があった。だが、一時は権力と共に栄えることはあっても、やがて権力の滅亡と共に滅んでゆくであろう」(6-55)と述べており、まさにこれは創価学会の辿(たど)る道を予言したものといえる。 また平成7年11月、宗教法人法改正論議のさなか、公明党議員らが肉弾戦をもって池田の参考人招致を阻止した事件があった。このようななりふりかまわぬ池田擁護の姿勢は、まさしく公明党が池田の私党であることを証明するものといえよう。
◆創価学会の反社会的行状の数々
創価学会は、言論出版妨害問題や選挙時の替え玉投票事件、また共産党宮本委員長宅電話盗聴事件や池田のスキャンダルをもみ消そうとした「月刊ペン」事件等々、さまざまな反社会的事件を起こしてきた。 さらに近年に至っても、学会員が身代金6億円を要求した本宗住職誘拐事件、公明党議員たちによるリクルート事件や砂利運搬船汚職にからむ贈収賄事件、1億7千万円入り金庫投棄事件、ルノワールの絵画取引疑惑、墓地造成による脱税事件、株売買による損失補填等、巨額の金にまつわる不正疑惑事件が頻発している。 また、平成11年5月14日に起きた立川文化会館内での不倫殺傷事件などは、創価学会の組織内部の乱れを象徴する出来事である。 これらは氷山の一角である。日蓮大聖人が、「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはヾ国亡ぶべし」(新編1066)と仰せられたとおり、大聖人の仏法を悪用する創価学会が蔓延していけば、やがては日本乃至全世界が荒廃していくことは火を見るよりも明らかである。
◆宗教法人「創価学会」規則及び会則の改変
平成14年4月26日、宗教法人「創価学会」の規則が大幅に変更された。なかでも、「『三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」(新会則第3条)という条項がある。しかし、「永遠の指導者」と崇める初代・2代と、3代の池田の会長指導には矛盾が生じている。すなわち初代牧口は、「御開山上人の正しく御伝へ下された、日蓮正宗大石寺の御法義に従ひ奉って…」(大善生活実証録第5回総会報告5)といい、2代戸田は、「わたくしたちは、無智な人人をみちびく車屋である。(中略)大御本尊様の御もとへ案内して行くのが、学会の唯一の使命」(戸田会長講演集上31)と、2人は日蓮正宗の法義に従うことや、学会の目的を明確に述べている。これに対して3代の池田は、「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」(聖教新聞平成5年5月5日付)「“総本山に参詣しなければ功徳がない”という宗門の主張は、道理からいってもまったく意味をなさない」(聖教新聞平成4年2月29日付)などと、宗門誹謗の言辞をもって、血脈・法義への尊信と総本山参詣の大事を説いた牧口・戸田の両会長に反逆する指導を行っている。 すなわち、牧口・戸田両会長の指導と池田のいい分は、まったく異なっており、「三代会長」の指導には一貫性がない。「三代会長を永遠の指導者」と謳(うた)うのであれば、会員は3代会長のどの会長の指導を「永遠」に守っていくというのか。対極する会長の指導を忠実に実行することは不可能である。
●宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編●(諸宗破折ガイド158~168)
