本尊模刻
法華講員の問い
創価学会は御法主日達上人の認可もなく勝手に本尊を模刻した事実を知っていますか?
創価学会員の答え
勝手に模刻などしていない。御本尊彫刻の許可を事前に日達上人より得ていたが、それを失念した日達上人を創価学会が守ったというのが真相だ。
これは大きな間違いです。下の文面をよくお読み下さい。
創価学会は、第六十六世日達上人が復刻本尊に対する論議を止められたのにも係わらず、この件を持ち出す宗門こそ謗法だと言い、さらに、この事件の主たる要因は日達上人の失念にあり、同会には全く非がなかったと開き直っています。
しかし、日達上人がなされた創価学会の本尊復刻に関する御指南は、同会が五十二年当時の謗法逸脱路線を反省し、日蓮正宗の外護団体として、宗門の指導にしたがって信仰活動を行うことを前提としたものです。現在のように、日達上人に対して反省懺悔したはずの謗法路線を繰り返し、最後は破門されてしまうような団体に対して示されたものでは決してありません。また、日達上人は、創価学会の本尊復刻事件について、
「学会の方で板御本尊に直したところがあります。それは私が知らなかった」(昭和五十三年六月二十九日・於大講堂)
「こちらが許可していない分は取り上げて注意をしました」(昭和五十四年五月二十九日・於大講堂)
と仰せになっています。創価学会が日達上人に無断で本尊を模刻したことは紛れもない事実です。さらに、当時、創価学会副会長であった辻武寿は、
「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下の御指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しましては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。」(昭和五十三年十一月七日・創価学会四十八周年記念代登山代表幹部会・於大講堂)
と、創価学会の誤りを認め模刻本尊を本山に納めたことをハッキリと述べています。これに対し、日達上人が御遷化ののち、十四年も経過してから突然、赤澤朝陽氏の証言を持ち出し、「日達上人は実は御存じだった」と主張して、日達上人にその罪をかぶせる行為は言語道断の所業と言わねばなりません。
何十年にもわたり創価学会に理解を示された大恩ある日達上人を、平気で裏切る行為を組織ぐるみで展開してはばからないのが創価学会の体質であり、そこに本尊模刻を行った真因があることを知るべきです。
【創価学会のスリカエ理論】
日蓮正宗では、創価学会によって模刻された8体の御本尊の内、「大法弘通慈折広宣流布大願成就・創価学会本部安置、昭和二十六年五月十九日」の1体については、日達上人が創価学会本部への御安置を追認されたことにより、この御本尊については問題にしていません。
その経緯として、昭和49年9月2日、宗門と学会との連絡会議の席上、池田会長(当時)より、学会本部の御本尊を板本尊にしたい旨の願い出がありました。
しかし、日達上人は、学会の「板御本尊にしたい」という意味は、今までの日昇上人の紙幅御本尊はおしまいして、新たに日達上人に板御本尊の御下附を願い出るものと思われての御承知でしたが、一応申し出がなされたということで日達上人の御慈悲により追認されたのです。
これに対し、問題となるのは総本山に納められた以下に挙げる7体の模刻本尊です。
賞本門事戒壇正本堂建立本尊 【昭和49年1月2日】
ヨーロッパ本部安置 【昭和39年12月13日】
池田大作授与の御守本尊 【日昇上人昭和26年5月3日】
学会本部会長室安置 【昭和42年5月1日】
創価学会文化会館安置 【昭和42年6月15日】
アメリカ本部安置 【昭和43年6月29日】
創価学会関西本部安置【日昇上人昭和30年12月13日】
創価学会は追認された1体の御本尊の経緯を盾にして、他の7体も同じように御法主上人の御許可を受けていたと主張していますが、それら7体の模刻経緯には御許可いただいた記録なども全くありません。したがって、創価学会の主張は悪質なスリカエ論にすぎません。
【御守御本尊の復刻】
大聖人様が、経王殿御返事に、
「まぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。」
と仰せのように、御守御本尊は、個人に与えられ、随身すべき御本尊です。したがって、お守御本尊を板に模刻するなどということは、本宗伝統の化儀に照らして全くありえないことです。
しかし、池田大作氏は、自身に下附されたお守御本尊を撮影・拡大し、勝手に模刻したのです。その上、昭和51年10月28口に東北研修所で「この板御本尊を永久に東北の守りとして置く」などと言って御守り御本尊を会員に拝ませる行為に至りました。このようなことを日達上人が御許可になるわけがありません。したがって、赤沢証言は極めていかがわしいものです。
【宗門の創価学会擁護を逆手に取る非道】
正信会裁判の証人尋問の際、藤本総監(当時)は、創価学会が模刻事件も含め、五十二年路線の誤りに対する改悛の表明がなされたことを受け、問題を収拾するためにとられた日達上人の御裁断があり、それを日顕上人が継承されていたことを受け、模刻については同会を擁護するため、
「手続き的に間違いを犯したということである」という証言をされています。しかし、
「(御本尊を)無断で書写すれば謗法になります」「(御本尊の複写は)御法主が御許可になればよろしいと思います」
と述べられ、御本尊に関しては御法主上人の許可が絶対に必要であるという一貫性をもとに証言されています。
また、相手(正信会)の弁護士の、「1体のほか、7体の本尊の模刻は事前に猊下の承認を得たのですか」(取意)との尋問に関して、
「7体については知らなかった」
と藤本総監は明確に証言されています。
つまり、宗門は当時の状況を踏まえて信徒団体であった学会を擁護はしましたが、模刻が無かったと主張したことは一度たりともないのです。
