正林寺御住職指導(R7.9月 第260号)
中興の祖・総本山第26世日寛上人は御遷化あそばされ、令和7(2025)年9月19日に第300回遠忌をお迎え申し上げます。
総本山大石寺では9月18日・19日に日寛上人第300回遠忌大法要が、御法主日如上人猊下大導師のもと奉修されます。宝物殿では記念展も開催されています。
日寛上人の御出生は、宗祖日蓮大聖人滅後384年、末法時代(1052)に入り613年後、寛文5(1665)年8月7日であります。上野国前橋(群馬県前橋市)の武士の家柄である伊藤氏のもとに誕生され、市之進と名付けられました。
19歳のある日、縁があり江戸下谷の常在寺に参詣され、総本山第17世日精上人の御説法を聴聞し信伏して出家を志されました。時の住職日永上人(後の総本山第24世)を師として得度され、道号を覚真と賜りました。
その後、日永上人に6年間仕え、厳格な修行と宗学(大聖人の御法門)の研鑽に努められました。
総本山大石寺にも度々登山され、富士の立義を第22世日俊上人・第23世日啓上人に師事されました。元禄元(1688)年には日永上人の会津・実成寺への転任に随従されています。
25歳の元禄2年春、上総(千葉県)の地に日蓮門下勝劣派の学問所・細草檀林に進まれ、入檀15、6年を経た40歳の頃、檀林の全課程を修了されました。この檀林期間での修学内容は天台教学を順次学び、満学まで20年前後要します。細草檀林での過程は、『日興遺誡置文』に御教示である「台家を聞くべき事」(御書1884)との富士の立義からであります。「台家」とは天台教学のことです。
後に、講主(教授する立場)となり、さらには檀林の最高位・化主に就任し堅樹院日寛と称されます。
細草檀林は春と秋に約百日間ずつ開講されます。檀林の休講期間に当たる夏間(げあい)に御書を学び、法座が盛んに行われました。
日寛上人が檀林在籍中の『序品談義』(歴全4-3・御述作集11)『寿量演説抄』(歴全4-139・御述作集91)は、檀林の合間、宗学研鑚の秀景を今に伝えられた著書であります。
檀林を退院され学頭となられた時、大弐阿闍梨と号されています。日永上人から御書の講義を命じられ、『法華題目抄』をはじめに、『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』などの御書を講義されました。
享保3(1718)年3月、第25世日宥上人より血脈の付嘱を受け、総本山第26世の御法主として登座されました。御登座より3年を経た享保5(1720)年2月、第27世日養上人に法を付嘱され継承を託され、血脈の不断に備えられ日寛上人は再び学寮に入り御書の講義をはじめ御著述に専念されました。ところが、3年後の同8年6月に日養上人は御遷化されたため、重ねて猊座に登られました。
その頃、「『文底秘沈』の句」に隠された秘伝書である『六巻抄』の再治と石之坊および常唱堂の建立が挙げられます。御遷化の年に、『観心本尊抄』の御説法を行われ、臨終が近いことを悟られて最終日に御言葉を残されます。『日寛上人伝』に、
「観心本尊抄を講じ己心中所行の法門を説く聴衆渇仰して感涙袖を浸す、師満講の日戲の如く衆に示して云く夫れ羅什三蔵は舌焼けざる証あり故に人之れを信ず日寛富楼那の弁を得て目連の通を現ずといへども言ふ所、後に当らずんば信ずるに足らざるなり、予平日蕎麦を好む正に臨終の期に及びて蕎麦を食し一声大に笑つて題目を唱えて死すべきなり、若し爾らば我が言ふ所一文一句に於いても疑惑を生ずることなかれ」(富要5-356)
と、「己心中所行の法門」と「蕎麦を臨終の時」に食されることで日寛上人の説かれた宗祖日蓮大聖人の御法門は、一文一句たりとも疑惑を生じてはならないと御遺言あそばされました。
末法時代に入り674年後の享保11(1726)年、御年62歳の時、臨終が近いことを悟られ、5月下旬、ひそかに学頭日詳上人を招かれ、第28世として法灯を託され、8月19日辰の刻、日寛上人は侍者に蕎麦を打たせ、七箸召し上がり、笑みを浮かべて「ああ面白きかな寂光の都は」と述べられ安祥と御遷化あそばされました。
「活動充実の年」の本年9月は、折伏強化月間になります。折伏推進僧俗指導会での御指導を実践していく折伏活動に力を入れていきます。
日寛上人第三百回遠忌の月に当たるため、日寛上人の折伏に関連する御指南を拝し奉り、実践させていただくことが真の御報恩になります。
『如説修行抄筆記』に、
「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば、心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わざれば、口が謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり」(御書文段608)
と、謗法に染まらないためにも身口意の三業に折伏を実践するよう御指南であります。
『報恩抄文段』に、
「邪法を退治するは即ち是れ報恩(中略)正法を弘通するは即ち是れ謝徳(中略)身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段384)
と、最高の報恩について御教示であり、破邪顕正の折伏実践は、仏祖三宝尊をはじめ両親や恩を受けた全ての方々に対しての恩返しとなります。
まずは、折伏強化月間に当たり日寛上人の御指南を心肝に染めて実践しましょう。そして、「自行若し満つれば必ず化他あり」(御書文段219)との御言葉を心がけましょう。
法華経には折伏を行ずる時の仏の加護と功徳が説かれております。『法師品第十』に二つ、『見宝塔品第十一』に一つあります。
法師品には、
「若し此の経に於て、句逗を忘失せば、我還って為に説いて、具足することを得せしめん」(法華経330)
と、御書の大事な文証を忘れても教学が解らなくても、仏が折伏の時に足りないところ、御仏智を得てできることを説いています。
同じく法師品に、
「若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば 則ち変化の人を遣して 之が為に衛護と作さん」(法華経333)
と、折伏の時に危害を加えようとする人がいたなら、諸天善神が守って下さるとの文証であります。
そして見宝塔品には、
「法華経を説く者有らば、彼の宝塔、皆其の前に涌出して、全身、塔の中に在して、讃めて善哉善哉と言う」(法華経338)
と、折伏を行ずる人をいつも仏が側で讃て下さるとのことであります。
法華経に説かれる加護と功徳を確信して、折伏強化月間には精進させていただくことが化他行の法華経の精神として大事であります。
令和7年(2025)の9月は、第67世日顯上人第7回御忌を迎えます。御報恩のためにも日顯上人の折伏に対する有名な御指南、
「一人が一人の折伏を」(大日蓮 第555号 H4.5)
心得て実践いたしましょう。
最後に、日寛上人第300回遠忌に当たり大白法(第1152号・1154号)や妙教(第396号)に御事蹟が掲載されています。さらに、過去の大白法「日寛上人さま」(第968号①上・970号②中・974号③下)のご生涯を御報恩の意義から確認くだされば幸いであります。
そして、折伏強化月間に当たり、創価学会員さんに折伏する場合は、創価学会の教学要綱では、日寛上人の御遺言である「我が言ふ所一文一句に於いても疑惑を生ずることなかれ」との仰せ、特に「己心中所行の法門」である『観心本尊抄文段』に、
「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(御書文段197)
と御指南である究極の御法門であり「己心中所行の法門」に対して、教学要綱では疑惑を生じた主張であると問うところから始めましょう。
宗祖日蓮大聖人『祈祷抄』に曰く、
「月を待つまでは灯を憑むべし。宝珠のなき処には金銀も宝なり。白烏の恩をば黒烏に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば、いかでか祈りのかな(叶)はざるべき。」(御書630)