日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

七五三祝い

正林寺御住職指導(R7.11月 第262号)

 

 七五三の歴史と由来は、平安時代の宮中儀礼を起源として、江戸時代に商業化され、明治期に庶民へ広まった子どもの成長を願う祝い事であります。
 平安時代の公家儀礼として、子どもの成長の節目ごとに次の三つの儀式が宮中や公家社会で行われました。  
 その平安時代、3歳には髪置の儀があり、生後7日で産毛を剃り3歳までは坊主頭で育てる風習があったようで、3歳の春に初めて髪を伸ばす際に行われた儀礼が髪置の儀であります。当時は乳児期に頭を清潔に保つため、男女とも髪を剃っていました。3歳になるとようやく「人として成長した」とされ、髪を伸ばすことを許されました。その背景には長寿を願い、綿白髪を作って頭に載せることで、白髪になるまで長生きできるようにとの願いが込められています。
 5歳には袴着の儀があり、5~7歳で初めて袴をつける慣習です。平安・鎌倉期は男女ともに行われましたが、江戸期以降は男子のみとなり、「5歳の男児祝賀」の原型となりました。
 7歳には帯解の儀があり、子ども用の紐付き着物から大人と同じ帯を締めるようになる節目の儀式です。鎌倉~室町期は9歳で行われていましたが、江戸末期から7歳の女児の儀式として定着しました。
 その経緯には当時の子ども死亡率の高さを背景とされ、無事に節目を迎えられたことへの感謝と健やかな将来を神に祈る意味を持っていました。

 江戸時代の「七五三」は商業政策としての特徴があります。江戸中期(天和元年=1681年)、五代将軍・徳川綱吉の長男徳松の健康祈願が広く報じられたことを契機に、子どもの成長祝いが「七五三」と総称されるようになったとも言われます。当時、呉服屋や商人が「髪置・袴着・帯解」の3つの儀式をまとめて宣伝し、着飾った子どもを神社に参拝させる商業イベントとして展開したことで、庶民にも広まった経緯があります。

 明治以降には全国的に普及します。明治時代になると、武家や裕福な商人から一般庶民へ行事が浸透して、神社での「お宮参り」スタイルが定着し、千歳飴を渡す風習が広まります。千歳飴は縁起物として元禄・宝永期(1688~1711年)頃の飴売りが起源ともされます。11月15日を中心に参拝日を定めるようになり、明治末期には現在の「七五三」行事の形が整いました。

 現代の「七五三」は、参拝対象年齢は「数え年」「満年齢」いずれでもよいとされ、3歳男女、5歳男児、7歳女児を祝うのが主流となっています。11月15日を本来の吉日としますが、都合に合わせて前後の月や土日にも分散して参拝する家庭が多い傾向があります。着物や写真スタジオ、千歳飴、千歳杖などの装飾品・ギフト文化が発達し、家族行事として大規模に行われる行事と世法的になっています。

 「七五三」の歴史を紐解きましたが、 宗祖日蓮大聖人の教えに基づいた日蓮正宗の「七五三」について考察いたしましょう。
 11月15日には、寺院において「七五三祝い」が行われます。子供の幸せと無病息災を願い、御本尊に御祈念申し上げます。
 子供の成長の節目とされる、3歳の男女児、5歳の男児、7歳の女児を対象に、毎年行われます。
 日蓮正宗では、一応世間の風俗にならい祝儀を行いますが、悪鬼の宿る神社に詣でるのを防ぎ、正法の寺院に参詣せしめるという目的から行われます。
 日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、
「女子は門をひらく、男子は家をつぐ。日本国を知りても子なくば誰にかつがすべき。財を大千にみてゝも子なくば誰にかゆづるべき。されば外典三千余巻には子ある人を長者といふ。内典五千余巻には子なき人を貧人といふ」(御書1494)
と、子供は無上の財であると御教示であります。

 正法を持つ親において子供は、大聖人の仏法を受持し、広く流布していくための大事な後継者であることから財といえるのであります。
 11月15日は第三祖日目上人の祥月命日に当たり「目師会」が奉修されます。本宗には古来「広宣流布の暁には日目上人が出現される」との言い伝えがあり、日蓮正宗の御小僧さんのなかには将来の御法主上人がおられると確信して、立派な成長を願い、この11月15日には特に若い僧侶を大事にいたします。
 法華講では、日蓮正宗の将来を担う小僧さん達、また正しい信仰を持つ法華講の子供達が健やかに成長し、立派な広宣流布の人材に育つよう御祈念させていただくことが「七五三祝い」であります
 この意義ある日に寺院へ参詣して仏祖三宝に御報恩申し上げ、未来における広布の担い手である子供の息災と成長、さらに信心倍増を祈念することが、目師会と七五三祝いには大事であります。

 さらに、世法とは異なる出世間法の上から当宗の「七五三」には深い意義があると拝します。
 「七五三」は、末法万年尽未来際まで令法久住せしめるための非常に重要な日蓮正宗の儀式であります。この「七五三」という「七」「五」「三」といわれる漢数字には、日蓮大聖人の御書と血脈相伝に説かれた大切な御法門につながる意義が存すると拝します。まさに世法とは明らかに異なる、法統相続の上から自受法楽の境界へとつながる「七五三」であります。

 「七五三」を迎えたお子さんは、御法門を理解することは難しいでしょう。そのため未来への育成の準備として、まずは親御さんが「七五三」の「七」「五」「三」の数字の意味を「七五三」を機縁に信行学の学を身につけましょう。同時にお子さんにも耳根得道の上から御法門に親しむ機会にもなります。

「七五三」の「三」

 「三」は、「題目三唱」です。御題目を御本尊へ唱える時は必ず三唱いたします。
 「三大秘法」の御本尊に帰命して、「仏法僧の三宝への尊崇」を心がけ、朝夕の勤行唱題の時には御観念文を観念いたします。その御観念では日蓮大聖人の徳であるところの「主師親三徳」に対し奉り御報恩謝徳申し上げます。さらに、「広宣流布の暁には日目上人が出現される」との言い伝えを確信させていただくためにも「第三祖日目上人」に御報恩謝徳申し上げます。その自行を「身口意の三業にわたる信心」として確立することが必要になります。
 人生には「過去・現在・未来の三世」があることを認識していき、その過程には必ず「三障四魔」が競います。
 妙法蓮華経の「法の一字」には、あらゆるものの実在と現象と道理を包容する「三月三日は法の一字のまつりなり」との「衆生法・仏法・心法」の意義が存します。
 以上のような「三」の文意にあることを心得ましょう。

 「七五三」の「五」

 「五」は、「妙法蓮華経の五字」であり、私達の「五尺の身は妙法蓮華経の五字なり」との御指南があります。「五月五日は蓮の一字のまつりなり」であり、その五月は大檀越「南条時光殿(大行尊霊)」の祥月命日であります。
 「五」には以上の文意が存すると拝します。

 「七五三」の「七」

 「七」は、「南無妙法蓮華経の七字」であります。「法華経に説かれる七譬」を通して育成に努めましょう。「七月七日は華の一字の祭りなり」との御教えから『御義口伝』に御教示である、
「南無妙法蓮華経と唱へ奉る」(御書1776)
ことを心得て、また『御講聞書』にも、
「此の経を持ち奉る時を本因とす」(御書1820)
という「奉る」ことが大切であることを心肝に染めましょう。そして、御本尊は「ただの物」ではなく、奉るべき、非常に尊く崇高で大事な本尊であることを教えていきます。
 信心修行では「七つの慢心を誡める信心(七慢)」にこそ「信心の宝(七宝)」を賜ることが叶います。『御義口伝』に、
「七宝とは聞・信・戒・定・進・捨・慙なり。(中略)今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり」(御書1752)
と仰せであります。
 令和7年(2025)は、第二十六世日寛上人第300回遠忌にあたります。日寛上人の臨終の際に蕎麦を「七箸食して莞爾として一声笑うて曰く鳴呼面白や寂光の都は」(富要5-359)と、大漫荼羅に向かわれ一心に合掌され題目を異口同音に唱えあそばされ、眠るが如く安祥として御遷化なさいました。蕎麦を七箸食された「七」との漢数字には、凡眼凡智で軽々に計ることのできない真義が存すると拝します。その「七箸」の「七」は、唯授一人の御法主上人猊下のみ御存じの金口秘伝であると拝し奉ります。御遷化300年前の5月下旬、ひそかに学頭日詳上人を招かれた時、第二十八世として法灯を託された折りに口伝あそばされたと拝信申し上げます。拝信申し上げる心がけは、御内証を拝し奉る信心を育成することになります。それはまた、御指南を拝し奉る心得を心肝に染めるための大事なことであります。
 「七」には以上のような文意が存すると信受いたします。

 「七五三」の節目には、「七」「五」「三」の漢数字にまつわる大切な意義があります。それは、富山の蘭室の友に交わる信行法統相続の意味からも幼少から育成することになります。

 また「七五三」は、生まれる以前の過去世からの業である宿業を消滅する大事な意味もあります。さらに、現世での業である現業をも軽減するための徳を積む意義があるでしょう。
 第26世日寛上人は『薬王品病即消滅談義』に、
「宿業有り、現在の業有り。聞経の力に由って現の業は即ち滅する故に『病即消滅』と云う。宿業消え難き故に病患有り。現在の業未熟なるを以ての故に即ち是れ滅し易し。過去の業已に熟するを以ての故に薄信は消え難し云云」(日寛上人御述作集399)
と宿業について御指南であります。さらに、
「若し是の経を聞くことを得ざれば、尚現在の業も消滅すべからざるなり云云。何に况んや宿業に於てをや。若し信心強き則んば、宿業も亦滅すべきなり」(御述作集401)
と、正しい信仰をしていかなければ消滅しやすい現在業ですら消滅はできません。宿業においてはなおさらであります。強盛な信心により罪障消滅が実現することを御教示であります。宿業の理由に大聖人は『兄弟抄』に、
「我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ」(御書981)
と仰せであります。

 最後に、日蓮正宗での「七五三」には、「七」「五」「三」の漢数字に秘められた意義を、親御さんが月々日々に実践されてお子さんを立派に育成されることを期待いたします。

 

宗祖日蓮大聖人『兄弟抄』に曰く、
過去かこ謗法ほうぼうものなりける こと うたがたまふことなかれ。これうたがって 現世げんぜ軽苦きょうく しのびがたくて、慈父じふめに したがひて ぞんほか法華経ほけきょうつるよしあるならば、 地獄じごくつるのみならず、悲母ひも慈父じふ大阿鼻地獄だいあびじごくちてともに かなしまん こと うたがひなかるべし。大道心だいどうしんもうすはこれなり。各々おのおの 随分ずいぶん法華経ほけきょうしんぜられつるゆへに、過去かこ重罪じゅうざいめいだし たまひて そうろう。」(御書981)