正林寺御住職指導(R8.2月 第265号)
宗祖日蓮大聖人は『御義口伝(おんぎくでん)』に、次のように仰せでございます。
「国土世間の縁とは南閻浮提(なんえんぶだい)なり、妙法蓮華経を弘むべき本縁(ほんえん)の国なり」(御書1729㌻)と。
2月は、日蓮正宗の教義において、この「本縁の国」という深い意義を拝すべき月にあたります。
大聖人様は、日本国がいかなる教えによって生死の苦しみから離れるべきかを勘案された際、日本は「純(もっぱ)らに法華経の機(き)」(御書324㌻)であり、たとえ一句一偈であっても修行すれば必ず得道できる「有縁(うえん)の法」の国であると御教示されました。
日本という国には、自ずから「三大秘法」建立の妙国たる因縁が具わっており、実大乗たる法華経が弘まるべき「最勝の国」としての使命があるのです。
本宗において2月は「伝統の二月」と呼ばれ、16日の「宗祖日蓮大聖人御誕生会」と、7日の「第二祖日興上人興師会(こうしえ)」が奉修される、極めて重要な月であります。
この「伝統の二月」の奥底には、大聖人様から日興上人様へと「日蓮一期の弘法」が譲り渡された「唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈(けちみゃく)」という付嘱(ふぞく)の大事があり、富士の立義を厳守する精神が貫かれております。
さらに、日本の仏法が月氏(インド)へ還って全世界を照らすという「末法には東より西に往く」(御書677㌻)との瑞相(ずいそう)も、この「本縁の国」を起点として示されているのでございます。
日蓮正宗の法義において、広宣流布の根源たる日本国が「純(もっぱ)らに法華経の機」であるとの御教示には、末法の一切衆生を救済する上での甚深(じんじん)の意義が込められています。
その意義を以下の4点に集約して確認いたしましょう。
①妙法と最も深い縁を持つ国土(本縁の国)
日本は、大乗経である法華経を信受すべき機根が熟した「有縁の法」の国であり、この地に生を受けたこと自体が、妙法に巡り合う深い宿縁であります。
②耳根得道(にこんとくどう)の勝地
日本国の一切衆生は、六根の中でも特に「耳根(耳の能力)」が勝れており、妙法の音声を聞くことによって仏種が植えられ、成仏へと導かれます。大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」(御書110㌻)と説かれ、折伏によって耳に妙法を触れさせることが重要であると教示されています。
③三大秘法建立の使命
「純らに法華経の機」であるということは、この日本こそが、末法の御本仏・日蓮大聖人の出世の本懐である「本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目」の三大秘法を建立し、全世界へ広めるべき最勝の地であることを指します。第26世日寛上人は「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に」(六巻抄68㌻)と仰せられ、本門戒壇の大御本尊ましますこの地が、救済の起点であることを示されています。
④日本の仏法が月氏(インド)へ還って全世界を照らす
太陽が東から出て西を照らすように、東方の日本から始まった下種仏法が西方のインド(月氏)へと還り、全世界の闇を照らしていく瑞相が示された国であります。「末法には東より西に往く」(御書677㌻)との瑞相も、この「本縁の国」を淵源として示されています。
団結行動の年では、「日本は純らに法華経の機」であるとの御教示は、私たちがこの「本縁の国」に生を受け、本門戒壇の大御本尊に縁させていただけたことの偉大なる功徳と福徳を自覚し、僧俗一致・異体同心の団結をもって折伏に邁進すべき、重大な使命を説かれたものでございます。
末法濁悪の世において、真の立正安国と世界平和を実現する唯一の方途は、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本として、御法主上人猊下の御指南を拝し奉り、この「伝統の二月」の精神を胸に、勇躍して前進してまいりましょう。
御法主日如上人猊下は
「本年『団結行動の年』は、文字通り、全国すべての法華講中が仏祖三宝尊への御報恩のもと、僧俗一致・異体同心の団結をもって勇猛果敢に折伏を実践し、もって一天広布を目指して大きく前進すべき、まことに大事な年であります。」(大日蓮 第960号 R8.2)
と御指南でございます。
最後に「本縁の国」である日本に生まれ、正しき「血脈」の流れにある日蓮正宗の信仰を持てたことは、過去世からの深い宿縁によるものです。
2月は寒さ厳しき折ですが、大聖人御誕生の月であり、また日興上人の興師会が奉修される月であります。一人でも多くの方が「自分はこの国で、広宣流布のために生まれてきた」という地涌の菩薩の眷属としての使命に目覚めることを、心より御祈念申し上げます。
宗祖日蓮大聖人『弁殿尼御前御書』に曰く、
「第六天の 魔王、 十軍の いくさを 起こして、法華経の 行者と 生死海の 海中にして、 同居穢土を 取られじ、 奪はんと あらそう。日蓮 其の 身に 当ひあたりて、 大兵を 起こして 二十余年なり。日蓮 一度も 退く 心なし。しかりといえども 弟子 等・ 檀那 等の 中に 臆病のもの、 大体 或は 堕ち、 或は 退転の 心あり。
尼ごぜんの 一文不通の 小心に、 いままで 退かせ 給はぬ 事 申すばかりなし。」(御書686)

