日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

第九項 「御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い」の妄説を破折する

 

  第九項

 創価学会が言う「御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い」の妄説を破折する



   (9)御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い

 日顕宗の輩は、言うに事欠いて、学会は日顕を否定して御本尊下付をしているから大御本尊を否定しているという、全く論理もなく、歴史的事実に照らしてもおかしなことを叫び始めています。

 このような頭の悪いことを恥ずかしげもなく言えるのも「頭破七分」の故でありましょう。
 本門戒壇の大御本尊は、宗祖大聖人の御本懐、三大秘法の随一であり、その法体は末法万年の広布伝承のため、二祖日興上人へ金口の血脈とともに相伝せられ、以来、日目上人、日道上人と瀉瓶して今日に至っています。故に、御戒壇様の伝承は血脈相伝を離れては存在しないのであり、これは七百年来の道理、文証、現証に明らかである。故に、現法主の血脈を否定し、背き、悪口雑言する池田や創価学会が御戒壇様に背いていることは、当然すぎるほど当然であります。
 その現証として、池田も秋谷もその他の者どもも、全く御戒壇様に参詣できない状態を自ら作り出してきたではありませんか。これこそ御戒壇様に背いている明らかな現証であります。
 また、このように歴代伝承の血脈相伝を受けた法主に悪口と悪行三昧を撒き散らす池田とその一味の者に対し、大聖人様の御法魂たる大御本尊様が、けっしてお許しになるはずはないのです。故に、実際に大御本尊を否定しているとも言える、池田大作の「物体」云々という不敬な言辞もあり、創価学会の大御本尊への背反は決定的である、と指摘しておきます。


 日蓮大聖人の時代にも、大進房、三位房等のように、大聖人のすぐそばに居ながら、見事に大聖人を裏切って信徒をいじめた弟子(坊主)がたくさん出現したではありませんか。逆に、大聖人にはほとんどお会いできなくとも、純粋に信じ続けた在家の庶民を、大聖人は抱きかかえるようにして最大に大切にされたではありませんか。

 今も全く同じ構図が見られます。つまり、大御本尊のすぐそばで、大御本尊に完全に背く出家の坊主どもが純粋な在家信徒をいじめているのであり、逆にそれら大御本尊に背く坊主どもの弾圧にも微動だにせずに、大御本尊から遠く離されていても、大聖人の言葉を胸に、広宣流布に前進し続けている在家の学会員がいる訳です。

 創価学会のこのような主張を称して「我田引水」と言うのです。なんでもかんでも、みんな自分が正しいと言っております。
 まず、大進房とは、熱原の滝泉寺の行智と結託して大聖人に弓を引いた人物です。また、三位房については、『聖人御難事』に、
  「はらぐろとなりて大づちをあたりて候ぞ」(御書一三九八)
ということを大聖人は仰せになっており、要するに大聖人に対する敵対の行為があったということがはっきり判ります。この二人の共通点は、正法正義、そして大聖人に背いて邪宗邪義の人と結託したことである。
 この邪宗邪義の者と結託しているというのは、まさに今の創価学会であります。他宗他門へ頭を下げて回って「仲良く、よろしく」と詐り親しんでいる。さらに『中外日報』等を抱き込み、そういう邪宗の新聞と関係を結んび、日蓮正宗に対し虚偽の悪口を徹底的に書き立てさせる。こういう現証、この悪口三昧を書き立てる虚偽の行為は、まさしく平成の大進房であり、三位房である。これが創価学会の所業です。
 それに対して、創価学会の如き名聞名利に囚われず、利欲にこだわらず、七百年来の法統を正しく守り、丑寅の勤行怠慢なく、僧俗一致和合して広布へ前進する現日蓮正宗の僧俗こそ、内と外より宗祖大聖人の御法魂にお仕え申し上げるものであります。
 日蓮正宗を悪逆非道の讒言をもって罵詈誹謗する池田、秋谷、創価学会こそ、大聖人違背の大罪人である、ということを申しておくものであります。


 「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(P.756)
  (通解:霊山とは御本尊と日蓮大聖人の眷属で南無妙法蓮華経と唱える者の住所を説くのである。)
  「法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや」(P.72)
  (通解:法華経を修行する者の住んでいる所を浄土と思うべきである。どうしてわ ずらわしく他の場所を求めることがあろうか。)
  「法華涅槃を信ずる行者は余処に求む可きに非ず此の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり」(P.72)
  (通解:法華経を信じる行者は他の場所に求めてはならない。この経を信じる人がいる場所はそのまま出浄土なのである。)
とあるとおり、法華経の行者が題目を唱える所こそ霊山浄土であり、大御本尊をエサにした登山の誘いに乗せられ、参拝料等の形で謗法への供養をしようものなら、
  「まことの心なれども供養せらるる人だにも・悪しければ功徳とならず、かへりて悪道におつること候」(P.1486)
  (通解:本当の真心からの供養であっても、供養される人が悪人であれば功徳とはならない。かえって悪道に堕ちることがあるのだ。)
の経文のままに、堕地獄の罰を受けることになってしまいます。大聖人は立正安国論の中で、悪への布施を止めよ!と宣言されているのです。大聖人門下であるならば、どうして日顕宗に供養するようなことが出来るでしょうか。

 ここで創価学会の引く最初の『御義口伝』の一文と、『守護国家論』の二文に示される所は、まさしく日蓮正宗の総本山大石寺であり、また全国の寺院であり、さらに信徒の方々の御本尊安置の場所を言うものであります。また、そういう僧俗の修行の徳を言うものであって、創価学会の似非信者、似非行者のことでは絶対にないのであります。 したがって、彼等の引く『窪尼御前御返事』に仰せの、
  「まことの心なれども、供養せらるゝ人だにもあしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」(御書一五八二)
との御文は、謗法の者に供養することはすべて悪道に堕ちる原因となる旨、教示されたものです。
 故に、創価学会の会館などへ、邪悪の幹部に金儲けをさせるために足を運び、広布ならぬ悪財を捧げることこそ堕悪道であり、反対に、下種三宝まします総本山へ登山参詣の功徳は莫大であることを、はっきり知るべきであります。

 

※『第十項 「本尊について御書には何と書いているか知っているのか?」の妄説を破折する』へつづく