なお、日有上人の化儀抄は、日有上人自身の書かれた文献ではなく、「弟子の南条日住が其平素の御談を集記したるもの」(富士宗学要集第1巻P.79堀日亨上人)であり、日亨上人自らが「有師化儀抄註解」として、日有上人とは異なる化儀についての主張を種々述べられていることからも、化儀は時代に即応して変化することを前提として考えなければなりません。これについて、日顕宗が「化儀は化法と一体で変化しない」とか、根拠の無いことを言っていましたので、「化儀は変化する」という証拠を挙げましょう。
化儀が時代によって変化する一つの証拠として、例えば朝晩の勤行は、五座三座ではなく、過去には六座一座であった記録が残っています。「化儀秘決」(富士宗学要集第1巻P.274,279)には、
『夕勤は一座なること如何、答て云く開山上人已来、当門の法式なれば其子細に及ばず先例に任する処なり乃至暁の勤め六座の所表如何』(同P.274)
『夕勤何ぞ一座に限るや、答ふ上代よりの儀式なり』(同P.279)
と、日興上人の時代から朝晩の勤行は五座三座ではなかったことが明確に記録されているのです。
もう一つ、ご本尊についての化儀で、宗門の住職になる者が必ずマスターしなければならないマニュアルとして「日蓮正宗教師必携」という本があります。この中に、葬儀の際に棺や骨壺に入れて焼いたりしていたミニ本尊(導師本尊のコピー)である「未来本尊」の化儀について、変化した旨が記載されています。
『古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、今は行わない。』(教師必携P.80)
昔はこんな謗法まがいのことをやっていたけれど、学会が出現して五老僧の末裔のような化儀をやめさせた、という歴史を垣間みることが出来ます。
日顕宗では勿体ぶって「化儀は化法と一体である」などと言って化儀は変化しないと主張していますが、この二つの証拠を見れば、根本のご本尊の化儀も、日々の修行の基本中の基本である勤行さえも変化しているのですから、後は押して知るべしです。要するに日顕宗の主張はウソ八百だということが明確ではありませんか。
それでは、いよいよ日顕宗の主張の破折に入りましょう。
次に、続いて色々言っていますが、これは『創価学会の偽造本尊義を破す』のなかで既に述べていることであります。すなわち、房州日我の『化儀秘決』を引いて「六座・一座」を論じている所(創価学会の偽造本尊義を破す 137※第八項 「一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技」の妄説を破折する を参照)とか、古来、末寺において御形木の未来本尊を発行する習いがあったが今は行わないという『教師必携』の件(同書74頁を参照)などですが、この彼等の邪悪にして根拠のない誹謗に対しては既に充分に破折し尽くしておりますから、この所では省略いたします。
次に、前出の最後の文として「それでは、いよいよ日顕宗の主張の破折に入りましょう」とありますが、ここからが彼等が言う教義上の中心点をなしてくるのであります。
それについて、体裁をちょっと説明しておきますと、今の「それでは、いよいよ日顕宗の主張の破折に入りましょう」という文のすぐ左に、ケイ線で囲んだ文があります。これは要するに、今まで色々な面で日蓮正宗の関係者との対論もあったりしたことから、彼等が日蓮正宗の主張、これを彼等は「日顕宗」と言うのですが、こちらの主張であると彼等が思い込むものを取り上げて、その主意を挙げてあるのであります。この部分はケイ線のなかのゴシック活字で表してあります。そのあと、それに対し、彼等一流の邪義の論法をもって、長ながとこれを反駁しておりますが、その部分はケイ線のなかの普通の活字で表し、さらに、それにアミカケをして判りやすくしてあります。この部分はずっとたくさん続きますが、ことごとく打ち破っていきたいと思います。
さて、それでは創価学会の邪義邪説の破折に入りましょう。そのなかで、特に一番最初の所は、教義上、非常に重要な意味があります。
