日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

56 学会では、『百六箇抄』の「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」の御文を、後人が勝手に書き加えたもので…

56 学会では、『百六箇抄』の「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」の御文を、後人が勝手に書き加えたもので、大聖人の御書ではないといっていますが、それは本当ですか。

 



 『百六箇抄』のこの御文を「御書ではない」などというのは、本宗相伝の仏法を知らない人の言です。

 御書全集には、日興上人が大聖人の代わりに後半部分を書かれた『滝泉寺申状』をはじめ、全部を代筆された『波木井殿御報』、また『御義口伝』や『御講聞書』のように大聖人の教えを日興上人や民部日向が筆録した講義録など、大聖人の直筆でない御書が多々収録されています。まして『百六箇抄』のような相伝書の場合は、大聖人の御法門を整足するという性格上、大聖人の常の御文体とは違った形で表現されることは当然です。
 もし、「大聖人の御筆によらなければ御書とはいえない」というのであれば、相伝書はすべて大聖人の御書ではなくなります。
 第五十九世日亨上人が、質問の御文について、『富士宗学要集』に「義に於いて支吾なき所」(同書 一-二五頁)といわれているように、大聖人の仏法の一切を唯授一人の血脈相承によって受け継がれた御法主上人が御允可され、自ら御書として載録されているのですから、御法門に間違いがあるなどということはありえません。 たとえ大聖人・日興上人の直筆がなくとも、その正統な精神と意義において、『百六箇抄』は立派な御書です。