日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

第68世御法主日如上人猊下御指南(H23.10)

 

 

平成23年10月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

(大日蓮 平成23年11月号 第789号 転載)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に十月に入り、残り三月となりましたが、各支部ともに本年度の折伏誓願を達成すべく、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを懸命に進めているものと思います。
 特に、本年は三月の東日本大震災をはじめ、十二号・十五号などの大型台風による大規模な災害、また福島原発の放射能汚染問題など、大きな問題を抱えたまま、抜本的な解決策も遅々として進まず、先々不安な問題が山積して、混乱しているのが現状であります。 かかる時にこそ、私どもは『立正安国論』の御正意に照らして、真の仏国土実現を目指し、一人ひとりが確信と勇気ある行動をもって、破邪顕正の折伏を実践していかなければなりません。
 されば、各支部ともになお一層の精進をもって、異体同心、僧俗一致して折伏を行じ、もって本年度は必ず全支部が折伏誓願を達成されますよう、心からお願いする次第であります。
 さて、法華経神力品を拝しますと、
「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑有ること無けん」(法華経517㌻)
とあります。
 この御文は神力品の最後、結びの御文でありますが、「滅後」とは正像末の三時に通ずるも、まさしくは末法今時を指し、「斯の経」とは一往は法華経のことでありますが、末法観心の上から拝すれば、文上の法華経を指すのではなく、寿量品文底秘沈の妙法蓮華経のことであります。「受持」とは、受は受領の義、持は憶持の義にして、『法華文句』に、
「信力の故に受し、念力の故に持す」(学林版文句会本中612㌻)
とありますように、信念力をもって受け持つことであります。末法におきましては、信念を堅固にして三大秘法の大御本尊様を受け持つことであります。
「決定して疑有ること無けん」とある「決定」とは、確定的にことが決まって動じないこと、つまり疑いないことであります。すなわちこの御文の意は、滅後末法において法華経、すなわち寿量品文底秘沈の妙法蓮華経を受持する者は、成仏することは疑いないとの意であります。
 そもそも、爾前諸経におきましては歴劫修行を説き、浅きより深きへ次第に修行を進め、成仏に至るとする、いわゆる次位の次第を定めておりますが、法華経はしからず、提婆達多品において竜女の即身成仏を説き、歴劫修行をせずとも成仏することができることを明かされているのであります。
 故に『三世諸仏総勘文教相廃立』には、
「一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為づく。名字即の位にて即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無し」(御書1417㌻)
と仰せられているのであります。
 また『得受職人功徳法門抄』には、
「未断煩悩の凡夫も妙法を信受するの時、妙覚の職位を成ず。豈此の人に於て受職の義無からんや。経に云はく『我が滅度の後に於て、応に斯の経を受待すべし、是の人仏道に於て決定して疑ひ有ること無けん』と。又云はく『須臾も之を聞かば即ち阿耨菩提を究竟することを得ん』文」(御書589㌻)
と仰せられております。
 すなわち、いまだ煩悩を断じていない荒凡夫といえども、妙法蓮華経を信受する時、名字即の位において、凡夫の身そのままの姿で成仏することができるとされているのであります。まさしくこれ、寿量品文底秘沈の妙法蓮華経の広大無辺なる功力によるところであります。
 言い換えれば、たとえいかなる者であったとしても、大御本尊様に対し奉り、至心に南無妙法蓮華経と唱える時は、必ず成仏することは炳乎として疑いないのであります。
 されば、大聖人は『当体義抄』に、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一身に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書694㌻)
と仰せられているのであります。
 今、宗門は、来たる平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、僧俗挙げて戦っております。特に、本年は全支部が必ず誓願を達成することが、二十七年・三十三年の目標を達成するためには極めて大事であります。
 なかんずく、最近の混迷を極めている国内外の情勢を見ると、私どもは一日も早く、また一人でも多くの人々に妙法を下種結縁し、折伏を行じていかなければならないと痛感いたします。そのためには、講中が一丸となって立ち上がり、まず動くことであります。行動を起こすことであります。
 たとえ千里の道も、半歩でもいいから前へ進まなければ到達することができないように、折伏は理屈ではなく、実際に行動を起こさなければ達成成就することはできません。動けば智慧も涌き、諸天も守らせ給い、必ず誓願を達成することができます。
 もし、誓願が達成できないというなら、それは理屈だけに終わって動いていないからか、よくよく反省すべきであります。座して折伏を語っても折伏は達成できません。
 「冥冥の志なき者は、昭昭の明なく、昏昏の事なき者は、赫赫の功なし」
という言葉があります。
 「冥冥の志」とは、人の知らないところで努力することであります。「昏昏の事」とは、心を打ち込んで集中することであります。つまり「目に見えぬ努力を積み重ねない者には、栄誉が訪れるはずがないし、目につかぬところで仕事の手を抜く者には、輝かしい成果があるはずもない」という意味であります。
 折伏も同様でありまして、手を抜かずに折伏を続けていくことが、極めて大事であります。忙しいなかにも時間を作り、弛まず折伏を続けていくところに自他の成仏、すなわち己れ自身の一生成仏もかない、苦悩にあえぐ人々を救うことができるのであります。
 今日お集まりの講中のなかには、既に本年度の折伏誓願を達成したところもあるでしょう。また、いまだ未達成のところもあるでしょう。未達成の講中でも、まだ三月あります。三月あれば大概のことはできます。否、その決意をもって僧俗一致、異体同心して行動を起こせば、必ず誓願は達成できます。
 どうぞ皆様には、既に達成したところも、未達成のところも、共に来たるべき平成二十七・三十三年を目指して、いよいよ御精進くださることを心からお願い申し上げ、本日の挨拶と致します。

 

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