正林寺御住職指導(H28.9月 第152号)
九月は日有上人の祥月命日の月に当たります。御報恩のために御事蹟を拝してまいります。
日蓮正宗総本山大石寺の第九世日有上人は、中興二祖の一人であり、室町時代の応永九年(一四〇二)四月十六日に南条家に生まれ、幼少にして第八世日影上人を師とし、出家得度されました。
その後、修行と研鑚に励まれ、その学徳と布教の業績は卓越したものがありました。
日影上人から法脈を受けられ、大石寺第九世となられた日有上人は、永享四年(一四三二)三月に天奏をされました。天奏とは天皇に申し上げること。公に文書を奏することです。
また、広く諸国に布教の足跡を残され、布教のかたわら、寛正六年(一四六五)二月、御宝蔵を校倉造に改造され、同年三月には客殿を創建されるなどの山内諸堂宇の整備に努められました。
さらに日蓮大聖人や日興上人の教えを綱格として、修行の仕方や振る舞いのあり方など、宗門の化儀を整足して門下に御教示なさいました。これは後に弟子の南条日住師により、百二十一箇条の『化儀抄』として残されています。
応仁元年(一四六七)のころ、法を日乗上人に付嘱され、甲斐国(山梨県)杉山に法華堂(現在の有明寺)を建てて住し、興学布教に専念されました。
杉山の法華堂に移られた後も、毎月、大聖人(十三日)、日興上人(七日)、日目上人(十五日)の命日には、山道を歩いて大石寺の丑寅勤行に必ず出仕されたと伝えられています。文明十四年(一四八二)九月二十九日に杉山法華堂において八十一歳で御遷化されました。
日有上人御遷化の翌年、文明十五年(一四八三)に南条日住師が浄書された『化儀抄』は、第十二世日鎮上人に献ぜられました。
『化儀抄』は、日興上人の『遺誡置文』二十六箇条とともに、総本山大石寺の規範となる山法山規のもとを成しています。
その『化儀抄』の第四条には、
「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来、代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此の如く我に信を取るべし、此の時は、何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり云云。」(日蓮正宗聖典974)
と、日蓮大聖人からの唯授一人血脈相承の上から師弟相対の信心について御教示であります。「手続の師」とは、仏様である大聖人にお取り次ぎしていただく師匠のことで、根本的な意味においては、御歴代の御法主上人の御事です。「三世の諸仏高祖已来、代々上人のもぬけられたる故」と御示しのように、三世の諸仏および宗祖大聖人以来代々の上人の御命が抜け出られて、今の手続の師である御当代上人の御一身に御内証という姿で具わっていらっしゃるという意味があります。そのため御法主上人猊下に対し奉り、合掌礼をもって尊崇申し上げます。
正しい化儀を学び、師弟相対の上から一つ一つ身に付けて実践するところに、即身成仏があり現世安穏・後生善処があります。
※日蓮正宗の基本を学ぼう(大白法954~964号) H29.4.1~9.1号
中興の二祖 総本山第九世「日有上人さま」①~⑥
