創価学会でいう「御書根本」は、相伝によらず、自分の都合のよいように解釈するものですから、正しい考え方ではありません。
総本山第六十五世日淳上人は、「古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知って、極理の師伝を知らずこれを忽せにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救うべからざるに至る、誠に嘆ずべきである」(淳全 四五頁)と、師伝すなわち相伝を曖昧にして、御書のみにこだわる人は、我見に堕ちる者として破折されています。
日蓮大聖人は、『一代聖教大意』に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(全集 三九八頁)と仰せです。創価学会が唯授一人血脈付法の御法主上人を誹謗し、否定している現在では、いくら「御書根本」と主張してみても、それが相伝によらないものである以上、御書の意味を正しく理解することはできません。
同じ日蓮大聖人の御書を拝しても、日蓮正宗以外の日蓮宗各派は、教義も本尊も大聖人の御精神に反しているのは、相伝がないためです。
日蓮大聖人の仏法は、『日興遺誡置文』の「当門流に於ては御鈔を心肝に染め極理を師伝して」(聖典 五六三頁)との御指南のように、宗祖大聖人より日興上人、日目上人、代々の御法主上人へと血脈相伝された「極理」を師伝して、「御書を心肝に染める」ことが根本なのです。
