正林寺御住職指導(H19.11月 第46号)
私達は迷い多き人間であるため、勤行唱題中に成仏の妨げとして余事となる雑念や余計なことを考えてしまいがちです。なるべく余事を交えないように心を冷静に集中し勤行唱題に勤めることが大切です。
日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、
「此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆヽしきひが(僻)事なり。」(御書一二一九㌻)
と仰せであり、僻事とは道理や事実とちがった事柄や不都合な事、心得ちがいの事やまちがった事、まちがった言葉という意味があります。信心においては純粋に素直に我意や我見を交えず下種三宝尊を心に深く念じて御題目を唱えることが大事です。
また大聖人は『御講聞書』に、
「されば此の題目には余事を交へば僻事なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。」(御書一八一八㌻)
と仰せです。成仏とかけ離れた余計なことを考えず、疑いや不信も交えずに大曼荼羅である御本尊様に純粋で汚れのない質の高い御題目を御本尊様の力に絶対的確信を持ち唱える時であります。
それがまた地涌の菩薩の眷属に求められる精鋭としての唱題の姿勢であり、余事を交えない御題目を唱える人々が多くなれば広宣流布への大きな前進につながります。
さらに大聖人は『日女御前御返事』に、
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。」(御書一三八八㌻)
と仰せです。余事を交えない唱題は大切ですが、信心の厚さである強盛さ、信心の薄さとなる怠慢により、同じ御題目を唱えても違いがあることを御教示です。
余事を交えない唱題とは、御本尊様に純粋で心に汚れがなく質の高い御題目と、強盛な信心を根源とすることが必要であり、毎日の勤行唱題には基本的な心構えとなります。
宗祖日蓮大聖人『寿量品文底大事』に曰く、
「されば一処の所判に末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し、乃至妙法蓮華経に余行を交へばゆゝしき僻事なりと遊ばさるゝは此の意なり。秘すべきなり。」(御書1707)
