第五項
創価学会が言う「日顕宗の主張は、過去に『ニセ本尊』で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明」の妄説を破折する
(5)日顕宗の主張は、過去に「ニセ本尊」で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明
日顕宗の輩が、それでもなお法主の開眼をしていない御形木御本尊を「ニセ本尊」と呼び、これを拝むと地獄に堕ちるなどと言うなら、宗門はこれまで信徒を地獄に堕とすお先棒を担ぎ続けてきたことを証明してあげましょう。
前述の学頭日照師が朝鮮に布教するのに縮刷(名刺大)の御本尊を下付したのみならず、各末寺ではこれまでほとんど当たり前のように独自に形木の本尊を下付し続けて来たのです。
一例を挙げれば、品川妙光寺では、機関誌「妙の光」昭和十二年九月十六日付けで「謹告」を載せていますが、何と戒壇の御本尊ではなく、妙光寺に「秘蔵」してきた大聖人の(一機一縁の)御本尊を写真にしてお守りとして授与(販売)していたのです。
「此の曼陀羅は、我妙光寺に古来秘蔵する、日蓮大聖人御真筆であります。今回事変に当たり、特に之を謹寫(写)し、もって出征将士に御授け申すことと致しました。」(「地涌からの通信」NO.26 P.177)
とは、邪宗のお守り販売かと思えるそのあまりのお粗末さに、あいた口が塞がらないではありませんか。
法主が開眼していない創価学会の本尊を『ニセ本尊』と呼び、地獄に堕ちると言うのは、もう一つはっきり言えば、清浄な開眼が行われていないとともに、池田や秋谷等の大謗法の魔性が入ったのが『ニセ本尊』であるから、地獄へ堕ちると言うのであります。そのほかにも多くの『ニセ本尊』に関する謗法の理由がありますが、それは逐次に述べるとして、右当面の宗門への誹謗について破折します。
宗門に対し、学頭・日照師の件、各末寺における形木本尊の授与の件、品川・妙光寺の件を挙げ、いずれも独自に本尊を下附したことが開眼なき違法で、信徒を地獄へ堕としていたと言っております。しかしながら、これは今回の創価学会の『ニセ本尊』下附とは本質的に意義・内容を異にしております。
すなわち、その時どきの宗門情勢による化導の相違はあるけれども、御本尊について書写・授与の大権を持つ本筋の総本山唯授一人の血脈の法主が厳として存在されており、当時の末寺寺院が正式な立場の上から種々の意義において本尊下附を行ったことは、やはり法主の許可を得ておる意味があるのです。これは創価学会が、日亨上人の『化儀抄』第二十六条に対する註解の文中、切り文として出していない所、すなわち、わざと挙げなかった部分(本書42頁以下を参照)にこの趣意が明らかに示されております。その統率のもとに一大正法宗団が形成されているのであり、その当時の時どきに宗門で認められた寺院や教師が布教や信徒育成のために行う御本尊に関する弘宣行為は、基本的に総本山の許可によるものであり、創価学会の如き勝手なものではありません。
また、宗門として公認し、布教を許可する寺院の本尊下附行為は、常に総本山法主の意によるところの趣意があるのだから、本筋より逸脱したものではない。これは正しい信をもって宗団の中心の血脈を拝するところ、それに付随する意義を持っていることが当然であり、これは本筋の血脈相伝を頭から否定している創価学会の邪義とは天地の相違であって、彼等には想像もつかないことであります。
故に寺院の本尊下附行為は、まさに正法の血脈より弘通を許す関係上、全く法の上において合っておるわけである。創価学会は寺院でない在家集団でありながら、血脈の本尊の印刷、製造、配布を、前例もなく、資格もなく、許可もなく行っておるが、特に魔性・池田の大悪心が入っておる故に、清浄なる総本山法主の開眼のないことと相まって『ニセ本尊』と言うのである、と言っておきます。
また、住職になる者が必ずマスターしなければならない「正しい化儀」について書かれた「日蓮正宗教師必携」においても、「第5章 葬儀回向」の箇所で、「古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、今は行わない。」
と書かれています。この「未来本尊」とは、邪宗日蓮宗が葬儀専用に開発した「導師本尊」という「ニセ本尊」を形木にしたものです。これには大聖人が書かれた御本尊とは明らかに異なる「五道冥官」等の偽の経文の悪鬼とも言えるものが書かれており、江戸時代より古くから邪宗日蓮宗で始めた葬儀向けの化儀を、宗門でも江戸時代になって取り入れたものです。
次に『教師必携』の、
「古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、今は行わない」 (同書八〇)
という文を取り上げています。これは一往、前にこういう例が宗門にあったから、このように『教師必携』に書いたわけです。
これについて、この「未来本尊」とは邪宗・日蓮宗が葬儀専用に開発した導師本尊という「ニセ本尊」を形木にしたものだ、と誹謗し、「これには大聖人が書かれた御本尊とは明らかに異なる『五道冥官』等の偽の経文の悪鬼とも言えるものが書かれており、江戸時代より古くから邪宗・日蓮宗で始めた葬儀向けの化儀を、宗門でも江戸時代になって取り入れたもの」と言い、この導師本尊がニセものである以上、それを形木にした未来本尊もまた「ニセ本尊」である、と言うのです。
しかるに、それならば第一に、邪宗・日蓮宗の葬儀用の化儀が導師本尊であって、これを宗門が江戸時代に取り入れたと言っておるが、そういう実例の明らかな証拠があるなら提出してみよ、当て推量は慎めということを、はっきりここに言っておきます。
次に「五道冥官等は偽の経文の悪鬼だ」ということを言っておるのですが、欲界、色界、無色界の三界・二十五有と六道十界の衆生のことは広く経文に説かれており、その上の論釈に五道等が存することは古来の通義であります。悪鬼ということを言うのであれば、大聖人御本尊中の鬼子母神、十羅刹女も、その元は悪鬼ではないか。御本尊の中に入って本有の尊形となっておるけれども、その元の形は悪鬼であります。
要するに、冥府における五道冥官も三界の外ではなく、本仏所有の法界の中にあるのです。特に大聖人様は『戒法門』という御書のなかに、五道冥官を挙げられております。創価学会の認識は素人だましの、狭小の眼識によるところの迷見であります。
次に「大聖人が書かれた御本尊とは明らかに異なる」とも言っておるが、これは本尊の内証口伝を受けていない者が形式だけを見て、その漫荼羅弘通の規模の広さを知らない偏見であります。
冥界へ向かう衆生への化導救済の意義より、天照太神、八幡大菩薩の代わりに閻魔法皇、五道冥官を書かれることは、「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」を中心とする一念三千の本尊に在ってはいささかの違法もないのであり、これを「ニセものの本尊」とすることは、本尊相伝のない創価学会の短見・邪見なのであります。
創価学会は歴代上人のなかで、日寛上人こそ大聖人直結の方であると讃しているが、その日寛上人の在家に授与された数幅の御本尊に、明らかに天照、八幡の代わりに閻魔法皇、五道冥官と書かれておる御本尊が現存しております。また、日寛上人の御師・二十四世日永上人の書写にも閻魔法皇、五道冥官の書き方が拝され、さらに上代の御先師にも存在しております。その血脈の上からの流れは、近年では日応上人、日亨上人、日開上人にも同様の書写の御本尊が拝せます。特に先師日達上人はこの意味において導師御本尊をお示しであり、私もその上から伝承して、冥界へ向かう信徒の化導のための本尊として、いわゆる導師漫荼羅として「閻魔法皇、五道冥官」を書写申し上げておるのであります。
創価学会では日寛上人のお徳を特別に取り上げて、「大聖人直結」などと珍妙な語を捧げるが、この日寛上人に五道冥官の本尊書写があるのは、一体どう言い訳するのか。日寛上人も創価学会で言う「ニセ本尊」を書かれたことになるわけです。ということは、日寛上人もまた「ニセ本尊」を書いたインチキ不当の法主となるはずであり、今回の『ニセ本尊』もそれに類する悪法主の書写だということになるのではないか。
常に目先だけのところを取り上げて誹謗を繰り返すから、このような論旨の破綻をきたすのである。恥を知れ、と言っておきます。
この「導師本尊」がニセモノである以上、「ニセ本尊」を形木(印刷物)にした「未来本尊」こそ本物の「ニセ本尊」ではないでしょうか!
これについては、逆にこの導師本尊が血脈付法の上の衆生救済の正しい本尊であるから、したがって、その形木本尊も正しい本尊であった、ということを述べておきます。
この「ニセ本尊」を、古来より当たり前のように、しかも「未来本尊」という名前をつけて、棺や骨壺の中に入れて、土葬、火葬等を行っていたことが、宗門の「正しい化儀」のマニュアルに明確に書かれているのです。
『教師必携』において「過去においては未来御本尊を発行していたけれども、今は行わない」ということを書いた理由は、過去のある時期に、冥界に趣く御信徒の信心の上からの安穏救済のために歴代上人が大慈悲の上から御形木の未来本尊の授与を許されたことがあったのであります。すなわち、『寂日房御書』の、
「此の御本尊こそ冥途のいしゃうなれ」(御書一三九四)
という大聖人のお言葉の文義からも、土葬、火葬等、死者の精霊が漫荼羅のお伴をするという意義であります。しかし、これはその時代時代の機に対する化導の変遷によるものである。したがって、下種の法体たる金口血脈の一貫せる伝承は万年不動であるけれども、その経過のなかの時と機に対する化導方式には、時代によってある変化が存しているのは当然であります。
そこで、日達上人の代、私が教学部長のころでしたが、『教師必携』を新たに作製するに当たり、時代情況から鑑みて、これから以降は行わないということに定められたのであります。ですから、その元の一貫する正しい化導ということにおいての間違いは、いささかも存在しないのであります。
これは日興上人が富士一跡門徒存知の事で
「曼陀羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り」(P.1606)
と破折された五老僧の末裔が、宗門に古来より巣くってきたことの証明ではないでしょうか!
ここに引く日興上人の『富士一跡門徒存知事』についても、彼等は文の意味を正しく拝することができず、誤った見方より誹謗しています。『存知事』に、
「曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り」(御書一八七二)
というのはことごとく、前後の文から拝して大聖人御自筆の御本尊についておっしゃっていることなのです。つまり、その本義を弁えない五老門流が造仏本尊に執われた結果、大聖人様の御自筆本尊を非常に軽く見、賎しめるという事例を述べられた所なのは明らかです。だから、日興上人門下においては重大な決意をもって、大聖人様の御本尊を「これ以上の大事大切な御法体はない」という信仰のもとに守護すべきことを示された文なのであります。
それと、歴代の血脈伝承の上の時代による化導方式としての未来本尊とを一緒にする頭の悪さは、救いようがない。まさに創価学会の素人解釈であり、噴飯の錯誤と言うべきである。だから「五老の末裔が宗門に古来より巣くってきた証明だ」などの悪口は、全く当たっていないのであります。
何よりもかによりも、日寛上人は「五道冥官」を入れた、おまえらが「ニセ本尊」と称する導師本尊を書かれている以上、不当の法主となるはずだから、さっさと今の『ニセ本尊』を取りやめ、大逆賊の池田大作にでも本尊を書かせたらどうだ、と言っておきます。
また、すでに示した宗門内の四国有志僧侶による「祖道の恢復と真の正信確立の為に」の中で、
「学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来御本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。」
と記されていることからも、純真な学会員の出現によって、邪宗の習慣を中止したということも理解できるのです。
次に、四国有志僧侶の文献より「宗門の末寺で未来本尊の摺り形木や棟札を書いたことがある」ことを載せているが、これはやはり日有上人以来の化儀が、色々な形で時代時代のなかで出たり引っ込んだりしながら伝わってきた経緯があるわけです。しかし、今日の宗門では、こういうことが信仰上まぎらわしいから、一切行わない次第であります。
先程紹介した日亨上人の言葉に、
「有師斯の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟くも授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり」(富士宗学要集一巻一一三)
とおっしゃっているとおり、大綱においては古来の清浄な伝承が存するのであり、本宗における化儀のなかに「邪宗の習慣」などは、ありえようはずがないのであります。
それが「純真な学会員の出現による」などと言うのは、まさしくうぬぼれである。そうではなく、むしろ時の流れによるところの対処において、総本山中心の化儀の舵取りの結果であるということを、はっきりここで言っておきます。
なお、参考までに、「日蓮正宗教師必携」の葬儀の際の化儀についての解説には、
「寺院より当該宅へ読経に出張できないとき、願い出によりやむをえずその家へ導師御本尊のみを貸与する場合もある」
と、通夜、葬式に坊主が出席しない場合の導師本尊の貸与願の様式まで定めています。日犬宗が主張する「葬儀に坊主が来ないと成仏できない」などというウソは、この坊主の手持ちマニュアルで完璧に崩れさってしまっているではありませんか。そのうえ、貸し出しされるのが「ニセ本尊」ではせっかく生前に題目をあげて積み上げた功徳を破壊して、成仏の邪魔をされるだけではないでしょうか。
次に『教師必携』の文を挙げ、僧侶が出席できない場合の御本尊貸与の様式の定めについて「葬儀に坊主が来ないと成仏できない」という嘘は「坊主の手持ちマニュアルで完璧に崩れた」ということを言っているけれども、これも実に揚げ足取りの屁理屈であります。
これは、寺院の受け持ち範囲が広大で、住職一人であるような場合、時として、二、三の葬儀が同時に重なったような場合を言うのであります。そのときは当然、一つの身で行けないが、次の日、次の日の順序で回向に回る故に、その晩のお通夜を御信徒の方々が行う場合に、まず御本尊を先にお貸ししてあげるという規定なのです。それを創価学会は、実情も判らず、文章だけで矛盾を必死に探して誹謗の材料とするから、このようなわけの判らない、お粗末なことを言っておるのであります。
なお、葬式による成仏、不成仏は、その形式の云々よりも、下種三宝を尊信する心のありや否やが成仏、不成仏の決定となるのです。つまり三宝に背く創価学会は、まさに不成仏の団体と言えましょう。
次に「そのうえ、貸し出されるのが『ニセ本尊』ではせっかく生前に題目をあげて積み上げた功徳を破壊して、成仏の邪魔をされる」ということを言っておるけれども、彼等の言う「ニセ本尊」とは、「閻魔法皇」「五道冥官」と示された御本尊のことを指しております。
ところが、創価学会の二代会長の戸田城聖、四代会長の北条浩、理事長の小泉隆等の葬儀は全部、この創価学会の言う「ニセ本尊」であったことを、この文書を書いた人間は知っているのでしょうか。この創価学会の者どもの言い分によれば、これらの人々はすべて、生前の功徳は破壊され、結局、三悪道に堕ちていることになるのであります。また、平成三年までの創価学会の会員は、寺院に依頼して葬式をしたほとんどがその功徳を破壊されておるということになります。なんと、この筆者自らが、創価学会の自分達の先人、それも戸田二代会長まで「地獄行きだ」と言っているわけで、まさに自家撞着と言えましょう。
この言葉は、これを書いた創価学会員自ら、創価学会の先輩・先人が全部、堕地獄であることを証明するものであります。いかにこの返答をするのであるか、と質問しておきます。
※第六項 「学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの」の妄説を破折する つづく
