広宣流布とは、正当な日蓮大聖人の仏法を弘めることです。
かつて日達上人は「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(達全 二-六-二九五頁)と仰せられました。
たとえ池田大作氏が世界の要人から称賛されたとしても、その称賛する人たちは正法の護持者ではないのです。
大聖人は、『開目抄』に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(全集 二三七頁)と仰せられております。
過去に戸田会長は『青年訓』において「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(戸田城聖全集 一-六一頁)と指導していたではありませんか。
『法門可被申様之事』の講義にも「社会的名誉を第一とする三位房の姿勢を、大聖人は『旁せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか』と厳しく叱責されているのである」(学講 二七-一〇五頁)とあります。
このように、世間から誉められることが広宣流布につながるとの考えは、大聖人の教えにはありません。
大聖人は『持妙法華問答抄』に「名聞名利は今生のかざり(中略)嗚呼恥づべし恥づべし」(全集 四六三頁)と厳しく戒められています。
