日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

信心は水の流れのように

正林寺御住職指導(H25.4月 第111号)

 

 川の水の流れは止まることなく、常に上流から下流へと流れ海へ流れていきます。水源となる上流からの水は生活用水となり生活に欠かせません。もし干魃で川の水が流れないと生活に大きな影響があります。信心も同じで川の水がいつも流れるように怠らずに続ける事が大切です。日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、
「今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。」(御書1206)
と仰せです。水の流れのような信心とはいつも前進する信心であり、いかなる時も常に怠らない水の流れのような信心が成仏という現実生活で仏のような理想的人格を形成し、幸福で安穏な境地にいたります。
 大聖人は水の流れのような信心ではなく、火のような一時的に燃えさかる信心は、五欲の悪縁に紛動され、信心から遠ざかり捨てる心が生まれると教えられています。
 大聖人が『松野殿御返事』に、
「菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。」(御書1049)
と仰せです。菩提心である仏道修行に志す心が多くの悪縁に揺さぶられないことが肝心です。

 

 さらに大聖人は水の流れのような信心と火のような一時的に燃えさかる信心について『御講聞書』に、
「総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同有り。其の故は火の如きの行者は多く、水の如きの行者は希なり。」(御書1856)
と仰せです。火が燃え立つような信心は法華経の素晴らしさを聞いて、本当に有り難い教えと信じても一時的な思いは薄れてしまい、その時は大信力と見えても信心の灯は消えやすい行者が多いため火の燃え立つ信心を誡めています。「苦しい時の神頼み」だけの祈りも火が燃え立つような信心と同じです。
 しかし理想的な水の信心は水が昼夜不退に流れ少しも止まることがないため、法華経を信じる水の流れのような行者が信心では大事で功徳を積みます。
 常に自分自身の御本尊への信心姿勢が水の流れのような不退で強盛な信心か、火が一瞬だけ燃えさかるような自己中心的な信心かどうかを省みて、水の流れのような信心を心がけて行きましょう。