正林寺御住職指導(R7.5月 第256号)
一般的な意味での師資相承(ししそうじょう)とは、文字の通りに師(師匠・先生)から資(弟子)へと、教え、学問、技芸、道などが代々受け継がれていくことを意味する一般的な用語であります。これは仏教に限らず、学術や芸術、武道など様々な分野で用いられる概念であります。仏教においては、師匠が弟子に対して法門や教義を伝え継承していくことを指します。
師資相承とは師匠より弟子に相承されることでありますが、日蓮正宗では宗祖日蓮大聖人から第二祖日興上人へと相承されて、唯授一人の伝承により、現在は総本山第六十八世御法主日如上人猊下に相承されております。まさに日興上人は「極理(ごくり)を師伝して」(御書1884)と御指南であります。
当宗の師資相承には、「金口(こんく)」といわれる唯授一人の口伝が極理の師伝として存します。その金口について第六十七世日顕上人は、
「仏法における相承のなかには、金口から金口へ伝えられるところの『師資相承』という意義があるのであります。つまり師匠と弟子が、ある境界にならなければ法水というものは伝わらないのであります。」(大日蓮 第490号 S61.12)
と、師資相承の金口は、師匠と弟子が唯仏与仏の境界にならなければ成立いたしませんと御教示であります。師資相承とは、唯授一人の血脈相承のことであります。まさに「日興一人本師の正義」(聖典改訂版698)と仰せである甚深の金口と拝信申し上げます。
師資相承の金口を紙に書き移された金言を金紙(こんし)と申し上げます。文献相承・金紙相承として、御法主上人の御相伝に存します。
「血脈の次第 日蓮日興」(御書1675)
と仰せられた唯授一人の金口は、大事な要点・要義が自然の時期におかれ金紙として顕現あそばされた御金言として拝信申し上げます。
金紙相承は、御相承の尊い御法門であり、御法主上人猊下は、御相承を承ける資格のない僧俗には一言たりとも御教示下さることのない究極の御法門、日蓮大聖人が隠し持たれていらした秘法を余すことなく伝持あそばされております。
時代の流れにより、総本山第二十六世日寛上人は、唯授一人の金口を金紙として究極の御法門をお遺しあそばされました。それが『六巻抄』であり『御書文段』と拝します。その『六巻抄』と『御書文段』の究極的な極理の御法門は、金口として日蓮大聖人と日興上人は存知あそばされておられて師資相承されていらした「無令(むりょう)断絶」(御書1854)の血脈相承と拝信申し上げます。
また、軽率に論述することは控えるべきことでありますが、「形名種脱の相承」といわれる内用外用金口の極理である内用と拝されます、
「十二箇条の法門」(聖典改訂版862)
が存します。甚深の血脈であり、唯授一人の器に非ざれば十二箇条の極理は伝えられず、当家大事の法門が伝受あそばされております。
「後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(同862)
と、後世の弟子や信徒は疑い迷ってはならないと誡められております。
御歴代上人の教えに基づいて正しく信行学に邁進するところが、大事な血脈相承を尊崇申し上げる信心です。この信行により功徳を積むことができます。
この「十二箇条の法門」は、金口のみ伝授される御法門として秘伝なされていらっしゃるか、金紙も伝授なされての御法門かは、唯授一人の御法主上人猊下のみ存知あそばされる秘伝中の秘伝と拝信申し上げます。その秘伝を御存じの上人が、本門戒壇の大御本尊を広宣流布の暁まで御所持あそばされます。
日顕上人は秘伝中の秘伝である「十二箇条の法門」について、
「目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
『別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり』(聖典改訂版862)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」(大日蓮 第560号 H4.10)
と御教示でありまして、さらに、
「嫡々代々の内証において用いる真の唯授一人、七百年、法統連綿をなす根幹の相承、一言一句も他に申し出すべからずと示されたる、別しての十二カ条の法体法門であります。故に、日亨上人といえども全く公開せず、極秘伝の扱いのまま、今日に至っております。」(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す205)
と御指南あそばされました。日興一人である唯授一人の「十二箇条の法門」が秘伝中の秘伝として相伝されております。「十二箇条の法門」の内容は、御相承を承ける資格のない僧俗には一言たりとも御教示下さることのない究極の御法門であります。
この師資相承を拝信申し上げて信行に励むところ「積善の家には余慶あり」(『易経』)との善根を積み功徳無量無辺との大果報があります。
日顕上人の「十二箇条の法門」について御講義あそばされた、御法門を掲載された当時の「大日蓮 第560号(H4.10)」には、高橋粛道御尊師の「日寛上人に見る説話87」『孫鐘の積善』との説話に「積善の家には余慶あり」が拝見できます。また、「日寛上人に見る説話」を1冊にまとめられた「日寛上人にみる譬喩と説話と故事」にも「孫鐘の積善」(214)があります。
「積善の家には余慶あり」とは、大檀越である南条家のことであります。五月一日は総本山大石寺の大檀那である南条時光殿「大行尊霊」の祥月命日忌であり、「五月五日は蓮の一字のまつりなり」(御書334)との、蓮の一字に具わる徳の一分、不思議円満を如実に物語る月であります。
五月五日の端午の節句は、男の子の健やかな成長を御本尊に祈願申し上げます。大聖人は『上野殿御返事』に、
「男子は家をつぐ。日本国を知りても子なくば誰にかつがすべき。財を大千にみてゝも子なくば誰にかゆづるべき。」(御書1494)
と仰せのように、法統相続によるところの一往と再往において、さらには再往の総別においては大事な意義が元意に存すると拝します。
その元意は、日蓮大聖人が隠し持たれてきた秘法を「つぐ」「つがすべき」「ゆづるべき」との深秘の師資相承が存します。当家の血脈相承である唯授一人の御相承において、上野殿である南条家に未来の内護外護を託された、重要な意義が存する御書と拝し奉ります。
御歴代上人の第三祖日目上人、第四世日道上人、第五世日行上人、第六世日時上人、第八世日影上人、第九世日有上人は、師資相承において金口と金紙を伝持あそばされた南条家御出身の御法主上人でおられます。
最後に、御法主日如上人猊下は「御霊宝虫払大法会の砌」に、
「折伏について、大聖人様は『諸法実相抄』に、
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり』(御書666)
と仰せられています。
すなわち、広宣流布への道は、日蓮大聖人様のお振る舞いがそうであられたように、妙法蓮華経の五字を初めは自分一人から、二人、三人、百人と次第に伝えていくことであります。つまり『一人が一人の折伏』を私ども全員が実践するところに、広宣流布への道が大きく開かれてくるのであります。」(大白法 第1147号 R7.4.16)
との御指南を心に刻み、師資相承の意義を心肝に染めて活動を充実いたしましょう。
宗祖日蓮大聖人『椎地四郎殿御書』に曰く、
「法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし。 経に云はく『亦正法を聞かず是くの如き人は度し難し』云云。 此の文の意は正法とは法華経なり。 此の経をきかざる人は度しがたしと云ふ文なり。 法師品には『若是善男子善女人乃至則如来使』と説かせ給ひて、 僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見えたり。」(御書1555)

