第十三項 御本尊への御供養を「謗施」と誹り、僧侶を侮蔑する我見・忘恩の妄説を破折する
大御本尊に供養しているのであって僧侶の善悪は関係ない。戸田会長もそう言っている。
(文責者注・右文は創価学会が宗門の主張として挙げたもの)
立正安国論(P.30)にあるとおり、早く謗法への布施を禁止することこそが、正しい仏法の実践なのです!もしも「自分は御本尊に供養をしているから僧侶の善悪は関係ない」などと物知り顔で言うような学仏法の外道がいたら、「勝手な我見を言っている暇があったら、顔を洗ってもう一度立正安国論を初めから読み直しなさい!」と言ってあげましょう!
『全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり、夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の布施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん。』(P.30)
『まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候』(P.1486) (※窪尼御前御返事)
すでに日顕宗が広宣流布破壊という大謗法を犯している以上、戸田先生なら「この法盗人!とっとと寺から出て行け!」と厳しく呵責されるでしょう。戸田先生の「クソ坊主」や「禿人(袈裟は着ているが単なるハゲ)」に対する厳しい指導を少しは読んでみなさい!
『現代の坊主は、まず放逐せよ!さもなくんば重労働を課せ』『日蓮大聖人様でないものが、大聖人様のような顔をして金を集めるから邪宗教だろう』
『折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ』
『尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたがって居る坊主は狐坊主だ』
『御布施ばかりほしがる坊主は乞食坊主だ』
『日興上人の遺誡置文を守って居られる方は御坊様、守らん僧侶は坊主、邪宗の僧は高等乞食というんだ、よくおぼえておけ』
『安国論』を引いて、その布施をとどめられた趣意、ならびに『窪尼御前御返事』の文を引いて、戸田会長も、広宣流布破壊という大謗法を犯す僧侶を呵責する、との文を挙げております。
この要点は、日蓮正宗が広宣流布破壊か否かであります。しかし、創価学会のこの言い草は、根本を忘れた我見・忘恩の徒の憍慢と増上慢に尽きております。
広宣流布の仏意・仏勅を受けて、末世に厳然と大法を護持弘通してきた広布根本の宗団は日蓮正宗であり、日顕はその現在の法主・管長であります。
創価学会は、その日蓮正宗より出た単なる派生団体であり、派生団体である以上、常に、いかなることがあろうと、広布根源の宗旨・宗団に従わなければならないのです。つまり、広布の中心法体が創価学会には存在しないのであり、あくまで日蓮正宗の外護のための団体としてのみ、その存在意義があるのです。
しかるに、数を増やしたということだけで威張り散らし、自分らが広布の主体者、仏法の主体者と考え、宗門支配を企み、創価学会へ日蓮正宗を取り込むという大それた計画で邪進する以上、そんなものは正しい広布とは絶対に言えないのです。
日達上人も、
「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えない」(大日蓮 昭和四九年八月号二〇)
と指摘されました。
今の創価学会は、大聖人の正しい仏法の広布団体では断じてありません。その理由は、池田の支配により次第に増長した創価学会のあらゆる自語相違・矛盾を示す、学会が主、宗門が従との我見にあります。
日蓮正宗は戸田会長の言に一々囚われる必要もありません。戸田氏の言は、主として当時の他宗を言ったのであって、もし総本山伝承の血脈中心の法体までを現池田創価学会の如く批判・悪口の対象としたのなら、戸田も三悪道へ堕ちていることになります。ただし、生前の戸田会長の言動から、道理においては僧侶に従い、特に法主には絶対に随順したことよりして、現池田創価学会とは本質的に違っていると言えましょう。
数ばかり増えても、すべて謗法の邪義で洗脳されたまま、正義の自己判断もできない学会員は、仏法の大綱を乱し、歪んだウソ八百を撒き散らし、社会の人々を抑圧・迫害して世の中を毒するばかりであります。
※『第十四項 『化儀抄』に制誡される僧俗の筋目を否定し、日蓮正宗僧俗の広布前進を怨嫉する醜説を破折する』へつづく
