日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

賢人と佞人

 

正林寺御住職指導(H24.6月 第101号) 

 賢人とは、かしこい人であり聖人に次ぐ徳のある人という意味です。佞人とは、心のひねくれた人という意味があります。
 日蓮大聖人は『富木殿御書』に、
「賢人は安きに居て危ふきを欲ひ、佞人は危ふきに居て安きを欲ふ。」(御書1168)
と仰せです。人生にはゆったりと気楽な安心できる安き時があり、その反面、気がかりで心配になり危険に直面するような危うい時があります。大聖人は安き時と危うい時に賢人と佞人とでは心の持ち方に違いがあることを仰せです。特に信心をする自行の目的には、賢人のような賢さを身に付けて、佞人のような危機に直面しても安閑とした気持ちにならないためにあります。
 常に安心できる生活に居ても因縁で一瞬に危うい人生になる可能性があります。

 そのため佞人になることなく賢人であるように心がけた生き方が大切です。信心では毎日当宗の御本尊に向かって勤行唱題をする理由には、賢人の徳となる賢さを身に付け、佞人のひねくれた怠慢な気持ちを改めていくためでもあります。
 「賢人は安きに居て危ふきを欲ひ」との御言葉は、大聖人が『四条金吾殿御返事』に仰せの、
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。」(御書1117)
との安き時でも危うき時でも八風に翻弄されない生き方を御教示と拝します。
 浅はかな凡夫による信心の目的は、安き時の利・誉・称・楽を求めるためであり、危うい時の衰・毀・譏・苦から逃れるために信心するという思いが初発心の時にありますが、「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。」との御言葉を身口意の三業に染めた賢人に相応しい徳を具える信心が大事です。

 

宗祖日蓮大聖人『妙密上人御消息』に曰く、
「賢人と申すはよき師より伝へたる人、聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり。」(御書967)