正林寺御住職指導(H18.3月 第26号)
多くの人は他人の目(肉眼・凡眼)を気にしながら生活しますが、信心では他人の目よりも、御本尊様の眼(仏眼)となる冥の照覧をおそれることが大切です。
日蓮大聖人様は『持妙法華問答抄』に、
「冥の照覧恥づかしからざらんや。地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし。」(御書二九八頁)
と仰せであります。他人の目(肉眼・凡眼)以上に人が見ていないところでの、御本尊様の眼(仏眼)である冥の照覧を気にし恐れながら慎んで生活することが必要であります。
冥の照覧とは、諸仏・菩薩や諸天善神が私達衆生の一念や言動を悉く存知していることであり、御本尊様が信心する私達すべての言動を生活全般にわたり存知しているということです。
冥の照覧の冥とは暗くて、私達迷い多き凡夫の目に見えないことであり、奥深い御本尊様の尊い力用をあらわします。照覧は明らかに見るということで、他人が見ていないところでも御本尊様が一部始終、昼夜にわたり法華講衆を見ているということであります。非常に有り難いことでもあり、いい加減で軽はずみな言動はできなくなります。
冥の照覧が非常に有り難いことであるという意味は、いつも御本尊様が信心する法華講員を見守って下さるということであります。
冥の照覧により、いい加減で軽はずみな言動はできなくなるという意味は、正法に縁しながら成仏を妨げる悪い原因である謗法を行えば、地獄の苦しみを体験しなければいけないため言動を慎まなくてはなりません。
法華講員の皆さんは、冥の照覧をおそれ悔いのない人生が過ごせますよう、第六十八世日如上人猊下御指南のもと、自行化他に精進しましょう。
