そんなことはありません。「唯授一人の血脈」こそ、大聖人の仏法を正しく末法万年に伝えるための教えであり、大聖人御自らが定められたものです。
『身延相承書』に「血脈の次第 日蓮日興」(全集 一六〇〇頁)とあり、日蓮大聖人から日興上人お一人に血脈を相承されたことが明らかです。これが「唯授一人の血脈」でなくてなんでありましょう。
『本因妙抄』の御文については、重須の第二代学頭であった三位日順師が、『本因妙抄』を解釈して『本因妙口決』を著わし、そこに「唯授一人の一人は日興上人にて御座候」(富要 二-八四頁)と注記しました。これについて、第六十五世日淳上人は、「上掲の御文は本抄(本因妙抄)末尾に『日蓮嫡々座主伝法の書塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり』との御文につき唯授一人とは日興上人であらせられると、念釈をなされたのである」(淳全 一四四九頁)と仰せられています。
このことからも明らかなように、「唯授一人の血脈」という教えは、日興上人にお仕えした三位日順師が明言しているのですから、「『本因妙抄』は大聖人の御書ではない」などといって、「唯授一人の血脈」を否定する学会の主張は全くの妄説というべきです。
また学会では、御書全集を編纂された日亨上人が、『本因妙抄』の末尾部分が大聖人の教えでないために小さい活字にしたといっています。それでは日亨上人が大聖人の教えでないものを、わざわざ御書に載せたことになるではありませんか。それこそ日亨上人に対する冒涜といえましょう。
