〔御文証の解釈〕
返す返すも強盛の大信力を起こして南無妙法蓮華経と唱え、正念の中に臨終を迎えられるように(臨終正念が後生善処の因であるから)祈念せられるがよい。生死一大事の血脈は、大信力を起こして南無妙法蓮華経と唱える外には全く得られないのである。
〔創価学会の解釈〕
○大聖人の仏法における「血脈」は「信心の血脈」以外には全くありえない。これ以外の「血脈」を立てるならば、大聖人の仏法から逸脱した邪教である。法主の「唯授一人血脈相承」も例外ではない。(聖教新聞 H五・九・一八 取意)
〔創価学会の解釈に対する破折〕
日蓮大聖人の仏法における血脈には、総じての「信心の血脈」と、別しての「法体の血脈」があります。
学会がこの御文を引いて、血脈は信心の血脈以外にはないというのは、全くの邪義です。
「信心の血脈」について、『生死一大事血脈抄』の講義に、「別しての法体の血脈を大前提として、総じての信心の血脈について述べられたものである」(学講 三〇上-五九頁)とあり、さらには、同書に「この総じての信心の血脈、すなわち、御本仏日蓮大聖人の御一身に流れる生死一大事の血脈は(中略)正法を信ぜず、謗った場合には(中略)この自身の内なる仏性の種子を断絶することになるから、生死一大事の血脈もまた断ち切ることになる」(同書三三頁)と述べています。
この「法体の血脈」が、日興上人以来、連綿として続いていることは、第二十六世日寛上人の『寿量品談義』に、「目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器に写すが如く云云」(富要 一〇-一三一頁)と仰せられております。
第三十一世日因上人の書状にも「日蓮聖人乃至日因に至るまで、三十一代累も乱れず相伝是れ也」と仰せになっています。
また戸田第二代会長は「ただ日興上人お一人に、いっさいのものをお譲り渡しになっています。それが、堀米日淳六十五世猊下まで、血脈相承といって、われわれの御法主上人に、法水の容器は違うが、その内容は一滴ももらさずに伝えられてきているのです」(戸田城聖全集 二-三七頁)と指導しています。
このように、信心の血脈は、その前提として、必ず法体の血脈に基づく信心でなければ成り立つものでなく、法体の血脈を否定するならば、信心の血脈は断絶するのです。
