日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

85 模刻作業に携わった赤沢朝陽の社長は、昭和四十九年秋ごろに「日達上人は数体の御本尊の模刻を承知されていた」(聖教新聞H5.9.30取意)といっていますが、どうでしょうか。

 最近になって、赤沢氏は「昭和四十九年秋ごろに、日達上人は模刻について承知されていた」と発言していますが、その内容は事実と違います。
 なぜなら、菅野慈雲師の手記には、昭和五十三年一月の日達上人のお言葉として「今、赤沢朝陽の社長が年始の挨拶にきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊に直したと聞いた。何体彫刻したのか、赤沢に行って調べて来るように」(大日蓮 五七三-七七頁)と仰せられたことがはっきりと書かれているからです。
 これによって、日達上人が本尊模刻の実態を初めて耳にされたのが、昭和五十三年正月のことであり、これを報告したのが赤沢氏本人であったことがわかります。

  赤沢氏は、学会が秘密にしてきた本尊模刻を日達上人に報告した張本人なのです。
 日達上人は、その後、昭和五十三年六月二十九日に、総本山大講堂で行われた教師指導会でも、「学会の方で板御本尊に直したところがあります。それは私が知らなかった」(大日蓮 三九〇―四四頁)と仰せられています。ですから池田大作氏の「実は『本門事の戒壇は正本堂』という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。
  板本尊で文化会館の七階の座敷に安置してある」という昭和四十八年十二月二十九日の第二回御義口伝受講者大会における発言当時はもちろんのこと、赤沢氏がいう四十九年当時にも、日達上人が本尊模刻を全く御存じなかったことは明白です。
 赤沢氏の発言は、実にいい加減なものなのです。