日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

第68世御法主日如上人猊下御指南(H22.8)

  

平成22年8月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

(大日蓮 平成22年9月号 第775号 転載)

 本日は、八月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年「広布前進の年」も既に八月に入り、各支部ともに本年度の折伏誓願の達成へ向けて、僧俗一致・異体同心して御精進のことと思います。
 いつも申し上げていることでございますが、平成二十七年・三十三年の目標を達成するためには、初年度に当たる本年度を必ず勝利することが絶対的な要件となります。
 よって、皆様には残り五ヵ月間、本年度の誓願達成へ向けて講中一丸となり、師子奮迅力をもって勇猛精進していただきたいと思います。
 さて、大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書231㌻)
と仰せであります。
 そもそも、末法の衆生は本未有善の衆生であります。本未有善とは本已有善に対する語で、本已有善が釈尊の仏法に有縁の衆生を言うのに対し、本未有善は釈尊と無縁の末法の衆生を言うのであります。
 釈尊に縁のある本已有善の衆生は、在世乃至正像二千年間に仏種を調熟し、成仏をしましたが、本未有善の末法の衆生は過去に仏種を受けておらず、歴劫修行による善根もない衆生であります。
 この全く仏種を受けていない末法本未有善の衆生は、いかなる仏様、いかなる法によって下種され、成仏得道がかなえられるのか。
 総本山第二十六世日寛上人は『主師親三徳抄』に、
「末法の衆生は本未有善にして曽つて過去の善苗無し。釈尊遠くこれを鑑みて上行菩薩に妙法五字を付属して始めて成仏の種子を下さしむ」(歴全4-118㌻)
と仰せられています。
 すなわち、釈尊は如来神力品におきまして、法華経の肝要を四句の要法に括って、地涌の菩薩の上首・上行菩薩に付嘱され、滅後末法の弘通を委ねられたのであります。大聖人様はその上行菩薩の再誕として末法に御出現あそばされたのでありますが、しかし、上行菩薩としてのお立場はあくまでも外用のお姿であって、内証深秘の辺から拝すれば、大聖人様は久遠元初自受用報身如来の御本仏にましますのであります。
 末法本未有善の衆生は、この久遠元初の御本仏宗祖日蓮大聖人の寿量文底秘沈の妙法蓮華経をもって下種され、初めて即身成仏がかなえられるのであります。
 しこうして、その方途とはすなわち折伏によるのであります。故に『開目抄文段』には、
「謂わく、若し本已有善の衆生の為には、摂受門を以て而して之を将護す。若し本未有善の衆生の為には、折伏門を以て而して之を強毒す」(御書文段184㌻)
と仰せられているのであります。
 「強毒す」とは「強いて毒す」ということで、正法を信じない衆生に強いて説き、仏縁を結ばせることであります。末法の衆生は三毒強盛にして、自ら妙法を求めることはいたしません。故に、こちらから出向き、あえて三毒の心を起こさせ、毒鼓の縁を結ばせて成仏せしめるのであります。
 毒鼓の縁というのは、毒鼓とは毒を塗った太鼓のことで、その太鼓を大衆のなかで叩くと、その音は聞こうとしない者の耳にも届き、聞いた者は皆、死ぬと言われており、法を聞こうとせず反対しても、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。
 つまり、末法今時では順縁の衆生はもとより、逆縁の衆生であっても、大聖人様の三大秘法の仏法を聞かせることによって、正法との縁を結ばせ、将来、必ず成仏することができるということを示されているのであります。
 故に『法華初心成仏抄』には、
「当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書1316㌻)
と仰せられているのであります。
 したがって、今時末法における折伏は、相手の機根に合わせて説く摂受と異なり、不幸の根源となる邪義邪宗の誤りと害毒を指摘し、幸せになる道は本門戒壇の大御本尊様に帰依する以外にはないことをはっきりと言いきることが肝要であります。なぜなら、それによってたとえ反対されても、下種したことが縁となって、すなわち逆縁となって、のちに必ず成仏に至るからであります。よって大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云」(御書906㌻)
と仰せであります。
 自分自身を取り巻く人々のなかには、学校や職場での仲間や先輩・後輩、なかでも親友と言われる人、様々な恩恵を受けた人、お世話になった人、苦楽を共にして歩んできた人、身近なところでは両親・兄弟・子供、親類縁者、色々な人がいると思いますが、そのなかで未入信の人がいたら、そして、その人の真の幸せを願うならば、何を差し置いても折伏すべきであります。もし、家族のなかで未入信の人がいれば御授戒を受けさせ、一家和楽の信心に住すべきであります。相手との人間関係がこわれることを恐れて折伏もせず、表面のみ親しくするのは、まさに「慈無くして詐り親しむ」、慈悲の心もなく詐り親しむ偽善的行為であり「彼が怨」であります。
 この失を逃れるためには、不幸と混乱と苦悩の原因がすべて邪義邪宗の害毒にあり、謗法を捨てて正法に帰することが幸せになるための最善の方途であることをはっきりと伝え、躊躇せず折伏を実践すべきであります。
 折伏の語義を尋ねれば、悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせることであります。もちろん、言葉や態度が乱暴であってはなりませんが、衣座室の三軌を心得、心から相手の幸せを願い、慈悲の心をもって毅然として邪義邪宗の誤りを指摘して破折し、正法正義を説くことが大事なのであります。
 なかには、これによって関係が絶縁状態になるかも知れませんが、それでも正法に縁したことによって、のちには必ず救われるわけでありますから、仏法の丈夫の心をもって、恐れず、一人でも多くの人に下種折伏をしていくことが今、最も肝要であります。
 そしてもう一つ大事なことは、折伏は飽くなく続けることであります。
 先月の広布唱題会の折に不軽菩薩について申し上げましたが、不軽菩薩はすべての人に仏性ありとして礼拝行を行い、瞋恚の心を抱いた人々から悪口罵言され、杖木瓦石の難を受けましたが、それでも飽くことなく「二十四字の法華経」を繰り返し説き続けたのであります。その結果、不軽菩薩は成仏し、また不軽菩薩を迫害した人達も、ひとたびは地獄に堕ちましたが、法華経を聞いた縁によって救われたのであります。
 この不軽菩薩の行いは、今日、我々が折伏を実践する上でまことに大事なことを教えられているものと思います。相手の幸せを願い、飽くことなく折伏を行うことの大切さを知るべきであります。
 先程も申し上げましたが、平成二十七年・三十三年の目標を達成するためには、本年度の戦いがキーポイントになります。
 『南条兵衛七郎殿御書』には、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(御書322㌻)
と仰せであります。
 また『立正安国論』には、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247㌻)
と仰せであります。
 どうぞ、皆様にはこの御金言を深く拝し、講中一丸となって、大小を問わず、すべての支部が必ず本年度の折伏誓願を達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。
 

 

 

御法主日如上人猊下過去の御指南

   

日蓮正宗公式HP

 

大日蓮出版 

http://www.dainichiren.com/