平成24年7月度 広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 平成24年8月号 第798号 転載)
皆さん、おはようございます。
本日は、七月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
総本山におきましては、本年も恒例により、七月中、原則的には午前八時より一時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるようにお願いをいたします。
最近の世相を見ると、政治の混乱、経済の不況、多発する悲惨な事件や事故、全国各地で頻発している地震、また異常気象による洪水など、混沌とした様相を呈しておりますが、こうした現状を見るとき、我々は『立正安国論』の御聖意に照らし、これら不幸と混乱と苦悩の根本原因たる邪義邪宗の謗法を退治し、もって平成二十七年・三十三年の目標を達成すべく、僧俗一致して折伏を行じていかなければならないと痛感する次第であります。
そのためにも、本年は是非とも全支部が「実行前進」を合い言葉に、折伏誓願を必ず達成されますようにお祈りをいたします。
さて、法華経の見宝塔品を拝しますと、
「此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり」(法華経354)
とあります。
この「此経難持」の経文は、宝塔品において釈尊が滅後の弘経を三度にわたって大衆に勧められた、いわゆる「三箇の鳳詔」のうちの第三において、法華経の弘通が諸経に比べて極めて難事であることを「六難九易」をもって説かれたあと、この「此経難持」の偈頌が説かれ、仏の滅後に法華経を受持することが、いかに困難かを示されたものであります。
しかし、また同時に「若し暫くも持つ者」があれば、釈尊をはじめ諸仏も大いに喜ぶであろう。このような人は、多くの仏の感嘆したもうところである、と仰せられているのであります。
この「此経難持」につきまして、大聖人様は『四条金吾殿御返事』において、法華経を信ずれば現世安穏と聞いたが、大難が雨の如く来たるとの疑問に対し、大難の起こるのは、法華経は諸仏出世の本意として一切の方便を破折する故であり、かねて法華経に「此経難持」「難信難解」と説かれているところである。されば、大難が起これば起こるほど、正法であることをしっかりと確信し、持ち続けるときに「無上の仏道」が得られるのである。そのためには、三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずることが大切である。したがって、この妙法を持つには、もともと持ち難い法であると心を決めて持つことが大事である、と仰せられているのであります。
そのなかで、特に大聖人様は、
「此の経をきゝうくる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども『憶持不忘』の人は希なるなり。受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふべしと心得て持つなり」(御書775)
と、いかなる大難に値おうとも、妙法を唱え、持ち続けることが、成仏得道のためには最も大事であることを御教示あそばされているのであります。
つまり「憶持不忘」とは、法華経すなわち御本尊様をいかなる時も忘れず持ち続けることであり、正法受持を心に刻み、いかなる大難にも臆せず、たじろがず、いかなる逆風に出会うとも、正しい信仰を継続していくことを言うのであります。
すなわち、この御本尊を護持し、信仰を間断なく続けることは容易なことではありません。しかし、朝夕の勤行をはじめ自行化他にわたる信心の持続こそ、我らの成仏得道にとって最も重要な鍵であると仰せられているのであります。
しかし、また同時に、正しい御本尊を受持する者は、難や魔が起きることも必定であります。だが、この難や魔に紛動されることなく、乗り越えてこそ、我々の成仏があるのであります。まさしく、
「魔競はずば正法と知るべからず」(同986)
であり、むしろ、
「難来たるを以て安楽と意得べきなり」(同1763)
と仰せのように、臆することなく決然と難と対峙し、魔と対決をしていくべきであります。なぜならば、魔は絶対に仏様には勝てないからであります。
そのためには、まず第一に御本尊に対する絶対的な確信をしっかりと持つことであります。すなわち「無疑曰信」の信心であります。
大聖人様は『最蓮房御返事』のなかで、
「其れに付けても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(同642)
と仰せであります。
また『聖愚問答抄』には、
「夫妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり。仏性とは法性なり。法性とは菩提なり(中略)されば一遍此の首題を唱へ奉れば、一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時、我が身の法性の法報応の三身ともにひかれて顕はれ出づる、是を成仏とは申すなり」(同406)
と仰せであります。
私どもはこの御金言を深く心に刻み、いかなる難事が到来しようとも、あるいは魔が競い起きようとも、常に怠ることなく唱題に励み、折伏を行じ、一心に自行化他の信心に励むとき、即身成仏、決定すること、毛頭も疑いないのであります。
今、宗門は僧俗一致・異体同心の団結をもって、来たるべき平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、折伏大前進の最中であります。
特に、本年は全支部が折伏誓願を達成することが目標であります。
よって、我々は個々においても、あるいは講中全体においても、誓願達成の唱題に励み、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが大事であります。
唱題と折伏との関係は極めて密接であります。早期に誓願を達成している支部の特徴は、皆、唱題行をしっかりと行っていることであります。
どうぞ、皆様にはこのことを銘記され、いよいよ唱題に励み、もって本年度の折伏誓願を必ず達成されますよう心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。
法華講連合会結成五十周年記念大会の砌
於 大講堂
(大日蓮 平成24年9月号 第799号 転載)
本日は、法華講連合会結成五十周年記念大会、まことにおめでとうございます。
特に、本日は御隠尊日顕上人猊下には諸事御繁忙のところ、わざわざ御臨席を賜り、まことに有り難く、厚く御礼申し上げます。御隠尊日顕上人猊下、まことに有り難うございます。
さて、法華講連合会が結成されてから五十年、半世紀にわたり為宗為法、御尽力されてきたことを、まず心から感謝するとともに、これからも健全な発展のため、連合会の「目的」と「信条」を忘れることなく、しっかりと御奉公に励んでいただきたいと思います。
では、その連合会の目的と信条とは何かといえば、「法華講連合会規約」第五条に、
「連合会は、日蓮正宗総本山及び末寺を厳護し、日蓮正宗の教義を護持弘宣して、広宣流布達成に資するとともに、法華講支部の発展をはかり、講員の信仰増進に寄与することを目的とする。」
とあります。
また、信条とは第十二条に、
「連合会の法華講員は、次の各号に掲げる信条を堅持し、信行学に精進しなければならない。
一 本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、総本山を厳護するとともに、所属の寺院・教会を広布の道場として護持発展せしめること。
二 行学二道、異体同心の御聖訓を身に体し、御法主上人猊下の御指南を遵奉し、指導教師の指導を受け、僧俗和合して広宣流布に邁進すること。
三 篤く三宝を敬い、日蓮正宗信徒たることを深く自覚し、四恩報謝の念を体し、もって世人の模範となること。」
と記されております。
すなわち、法華講連合会は本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、総本山を厳護し、所属の寺院・教会をそれぞれの地域における広布の道場として護持発展せしめ、法主上人の指南を根本として、末寺の指導教師の指導のもとに広宣流布達成を目指して邁進し、四恩報謝の念をもって世の中の人々の模範となるよう努めなければならない、と定められているのであります。
したがって、本日お集まりの代表幹部各位には、まずこの連合会の目的と信条をしっかりと銘記し、もって自行化他の信心に励み、遠くは一天四海本因妙広宣流布、近くは平成二十七年ならびに三十三年の目標達成を目指して、いよいよ御精進くださるよう、心から願うものであります。
さて、法華経の不軽品を拝しますと、
「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経500)
とあります。
この御文は、漢字で表すと二十四文字になるところから、いわゆる「二十四文字の法華経」と言われるものでありますが、不軽菩薩は威音王仏の滅後、像法時代に出現し、一切衆生に仏性があるとして礼拝讃歎して、この二十四文字の法華経、「私はあえてあなた方を軽んじません。あなた方は必ず仏と成るべきであるからであります」と唱えて、会う人ごとに対して、専ら礼拝を行じたのであります。
しかし、増上慢の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷らは不軽菩薩に対して瞋恚の心を生じ、
「是の無智の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いず」(法華経500)
「この無智の悪比丘は、どこからやってきたのか。私はあなたを軽んじたりしないと言って、我らのことを必ず仏と成ることができるだろうと予言しているが、我らはそのような偽りの予言などは用いない」と悪口罵詈したのであります。
だが、不軽菩薩は悪口罵詈されながらも瞋恚の心を生ぜず、多年にわたって常に、
「汝当に作仏すべし」(法華経501)
と言って、礼拝行をやめなかったのであります。
そのため、増上慢の四衆は不軽菩薩に対して、悪口罵詈のみならず、杖木瓦石をもって打擲し、迫害を加えたのであります。しかし、不軽菩薩はそれを避けて遠くに行き、それでもなお声高に、
「我敢えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべし」(法華経501)
と言って、なおも礼拝行を続けていったのであります。
ひたすら礼拝行を続けた不軽菩薩は、その功徳によって命終わらんとする時に至って、威音王仏の説かれた法華経を虚空のうちに聞いて、ことごとく受持して六根清浄を得、六根清浄を得終わってさらに寿命を延ばすこと二百万億那由他歳、その間、広く人々のために法華経を説いたのであります。
その結果、かつて不軽菩薩に対して悪口罵詈・杖木瓦石をもって迫害し、不軽菩薩を軽しめ、「常不軽」と名付けた者達も、不軽菩薩が但行礼拝の功徳によって大神通力、楽説弁力、大善寂力を得たるを見るに及び、また、その説くところを聞いて、皆、信伏随従するに至ったのであります。
大神通力とは、身に神通力を示現すること。楽説弁力とは、自在無礙に弁舌する力。大善寂力とは、心に禅定(心を静めて真理を観察し、心身ともに動揺することがなくなり、安定した状態)を得ることであります。
『法華文句』および『文句記』には、この三力を身口意の三業および衣座室の三軌に配して、
「大神通力は、身口意の三業に当てはめれば身業に当たり、衣座室の三軌に当てはめれば如来の室に当たる。楽説弁力は、身口意の三業に当てはめれば口業に当たり、また衣座室の三軌に当てはめれば如来の座に当たる。大善寂力は、身口意の三業に当てはめれば意業に当たり、また衣座室の三軌に当てはめれば如来の衣に当たる」(学林版文句会本下454㌻取意)
と仰せであります。
すなわち、不軽菩薩は礼拝行を通して衣座室の三軌を身口意の三業にわたって行じた功徳によって、大神通力、楽説弁力、大善寂力の三力を得、また、これを目の当たりにした増上慢の四衆も法華経に帰依するに至ったのであります。つまり、不軽菩薩をさんざんに迫害した増上慢の者達も、さすがに不軽菩薩の大神通力、楽説弁力、大善寂力を見て、ついに信伏随従するに至らざるをえなかったのであります。
このことは、我らが折伏を行ずる場合においても、まことに大事なことが示されているものと思います。
折伏には説得力が必要であります。説得力が乏しいと相手はなかなか納得しません。したがって説得力を身につけなければなりませんが、しかし、説得力といっても、言葉がいくら巧みであっても、それだけでは相手が入信するには至らないことがあります。
大聖人様は『法蓮抄』に、
「凡夫は此の経は信じがたし。又修行しても何の詮かあるべき。是れを以て之を思ふに、現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は信ずる人もありやせん」(御書814)
と仰せであります。すなわち、折伏に当たって最も説得力があるのは、信心の功徳を身をもって示すことであります。
今、我々の折伏も、増上慢の四衆が不軽菩薩の大神通力、楽説弁力、大善寂力を目の当たりにして、また、その説くところを聞いて等しく信伏随従するに至ったように、確たる功徳の現証を示すことが、折伏に当たってはまことに大事なのであります。
そのためには、まず自分が御本尊への絶対的確信を持って、真剣に自行化他の信心に励むところ、必ず自然と妙法の広大なる功徳によって、我らもまた、不軽菩薩同様に大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができるのであります。
故に、大聖人様は『御義口伝』に、
「所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(御書1778)
と仰せられているのであります。すなわち、私達が不軽菩薩と同様に、この大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができれば、おのずと我らの身口意の三業にわたる所行のすべてが折伏に役立つ、強烈な説得力となるのであります。
例えば、折伏の言葉一つを取っても、自然と楽説弁力の功徳が発揮され、相手の信頼感を得ることができるのであります。
折伏は、我々の言っていることを、相手が信じてくれなければ何もなりません。相手の信頼に足る言葉、行い、意がなければ、折伏はなかなか成就しないのであります。
大御本尊への絶対信をもって強盛に信心に励む時、妙法の広大無辺なる功徳によって、相手の信頼に足る言葉、行い、意が身に具わり、その結果、自らが変わり、自らが変わるからこそ相手も変わり、折伏成就に至るのであります。
したがって、もし、折伏が思うようにできなければ、相手の強情さを嘆くのではなくして、自分自身の信心の弱さ、題目の足りなさ、信心の現証体験の足りなさを反省し、真剣に唱題に励み、御本尊へ祈り、不軽菩薩がそうであったように、飽くなく折伏を続けていくことが肝要であります。
大聖人様は『祈祷抄』に、
「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書630)
と仰せであります。
この御金言を命の底から確信し、折伏達成の祈りを込め、唱題に唱題を重ね、不軽菩薩がそうであったように衣座室の三軌を心得え、相手を思う一念で飽くなく折伏を続けていけば、必ず折伏を達成することができるのであります。
今、宗門は僧俗挙げて、来たるべき平成二十七年・三十三年の誓願達成へ向けて、僧俗一致・異体同心して力強く前進をしております。
特に、昨今の混沌とした日本乃至世界の世情を見る時、『立正安国論』の御聖意を体し、今、我々がなすべきことの第一は何かと言えば、折伏であります。
なぜなら、今日の混乱と不幸と苦悩の原因は、既に大聖人様が『立正安国論』にお示しのとおり、すべて邪義邪宗の害毒によるものであり、その邪義邪宗を破折しなければ、国を安んずることはできないからであります。
故に『立正安国論』には、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247)
と仰せであります。
今こそ、我々はこの御金言を心肝に染め、僧俗を挙げて折伏に取り組み、『立正安国論』の御理想実現へ向けて、前進に次ぐ前進をもって、本年、連合会結成五十周年の記念すべき年を、全支部が必ず折伏誓願を達成し、晴れて仏祖三宝尊へ御報恩謝徳申し上げられますよう心からお祈りを申し上げ、本日の挨拶といたします。
日蓮正宗公式HP
