日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

功徳無量無辺なり

正林寺御住職指導(R6.11月 第250号)

 「功徳無量無辺なり」とは、三大秘法の大御本尊を絶対信で題目を唱え奉り、宗祖日蓮大聖人仰せの「臨終只今にありと解り」(御書513)、さらに総本山第二十六世日寛上人の「多年の行功に依り三宝の加護に依り」(『臨終用心抄』富要3-267)と御指南である信行によって成就する絶対的幸福のことであります。
 大聖人は『崇峻天皇御書』に、
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし。」(御書1173)
と仰せのように、心の財を多く積むことにより「功徳無量無辺なり」との「安心立命」の境地に至ることが叶います。
 以上のことを心がけた御本尊への唱題により、大聖人は『法華初心成仏抄』に、
「一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。」(御書1320)
と仰せである現証が実現するとの教えであります。
 日蓮大聖人は、三大秘法である本門の本尊を信じて本門の題目である南無妙法蓮華経を唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を一声に喚び顕される功徳が無量無辺であるとの御指南であります。
 大聖人の我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉ることにより、末法本未有善の我が己心中の仏性は、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ即身成仏させて頂けるとの御教示であります。
 このことを心得た唱題により、大聖人は『法華初心成仏抄』に、
「一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり」(御書1320)
と仰せであります。その功徳無量無辺なりとは、まさに法華経や御書に説かれる功徳が莫大であるため、無量無辺との表現がなされています。
 その表現について『題目功徳御書』には、
「法華経の題目の功徳は十方の土のごとし、(中略)題目の功徳は大海のごとし。(中略)題目の功徳は金銀のごとし。(中略)題目の功徳は日月のごとしと申す経文なり。」(御書1673)
と、題目の功徳について仰せであります。
 そして、功徳無量無辺を実現するためには、誡めるべきことがあります。
 大聖人は『法華初心成仏抄』に、
「仏になる道には我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。」(御書1321)
と仰せのように、我慢偏執の心をなくして御本尊に題目を唱えるところに、功徳無量無辺なりとの現証があります。
 その我慢偏執の心をなくすためには、日寛上人の『法華取要抄文段』に説かれる教えを根底に置くことが大切であります。

「文底の真秘。謂く、内証の寿量品に於て顕露彰灼に三箇の法を説き顕す。故に文底の真秘と名づくるなり。(中略)文底の真秘は雲を払って月を見るが如し。『雲晴れて後の光と思うなよ 本より空に有明の月』等云云。故に今、文底の行者は久遠元初の月を見るなり。当に知るべし、久遠は今に在り、今は即ち久遠なり云云。(中略)
一大秘法というは即ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく。故に分ちて三箇の秘法と為るなり。また本尊に人あり、法有り、戒壇に事有り、理あり。理は謂く、義理なり。題目に信、行有り。故に開して六義と成す。この六義、散じて一代五十年の説法と成る。また蓮祖一期の弘法と成る。(中略)
この本門の本尊をまた『三大秘法総在の御本尊』と名づくるなり。(中略)
然れば則ち釈尊一代五十年の説法の功徳及以蓮祖一期の弘法の功徳、皆悉く本門の本尊に結帰するなり。故に本尊の功徳無量無辺にして、心の及ぶ所に非ず、言の宣ぶる所に非ず。
 故にこの本尊を受持すれば、則ち祈りとして叶わざることなく、福として来らざることなく、罪として滅せざることなく、理として顕れざることなし。故にこの本尊信受の輩は但受持の一行のみにして尚成仏すべし。何に況や本尊の妙法を読誦せんをや。『我が滅度の後に於て、応に斯の経を受持すべし。この人仏道に於て決定して疑い有ること無けん』とはこれなり。」(御書文段539)
との御指南を心肝に染めて、我慢偏執を払拭することが大事であります。その仏法と申す道理から大聖人は『法華取要抄』に、
「諸薬(しょやく)の中(なか)に南無妙法蓮華経は第一(だいいち)の良薬(ろうやく)なり」(御書735)
との変毒為薬へとつながる良薬の意義が存することになります。

 御法主日如上人猊下は、
「法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経は、過去・現在・未来の三世の闇を照らす最高至善の偉大なる光明であります。
 されば、その妙法を受持信行することによって、十界互具する我が生命に内在する仏界が、大御本尊様の絶対の仏界と境智冥合して成仏に至るのであります。
 よって、私ども一人ひとりが大御本尊様への絶対の信を持って題目を唱え、その功徳と歓喜をもって妙法を説き、一天広布の達成へ向けて前進する、これこそが即身成仏の要諦であります。」(大日蓮 第945号 R6.11)
と御指南あそばされております。

 最後に、「功徳無量無辺なり」とは「多年の行巧こそ大切なり」との信行により「始中終す(捨)てず」(御書1392)に精進する信心修行にあります。その功徳の体験を持って折伏させていただくところに折伏誓願を成就する要諦があります。このことを意識された異体同心・講中一結するところに、法界をも動かす絶大な御本尊から無量無辺の功徳を賜ることを確信いたしましょう。

 

宗祖日蓮大聖人『法華取要抄』に曰く、
諸病しょびょうなかには法華経ほけきょうぼうずるが第一だいいち重病じゅうびょうなり。 諸薬しょやくなか南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう第一だいいち良薬ろうやくなり。 一閻浮提いちえんぶだい縦広じゅうこう七千しちせん由善那ゆぜんな八万はちまんくにこれり。 正像しょうぞう二千年にせんねんあいだいま広宣流布こうせんるふせざる法華経ほけきょう当世とうせいたって流布るふせしめずんば、 釈尊しゃくそん大妄語だいもうごほとけ多宝仏たほうぶつ証明しょうみょう泡沫ほうまつおなじく、 十方分身じっぽうふんじんほとけ助舌じょぜつ芭蕉ばしょうごとくならん。 」(御書735)