これは池田大作氏の我見であって、大聖人の教義ではありません。これはむしろ外道の思想です。
『御義口伝』に「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(全集 七六〇頁)
と仰せのように、漫荼羅(本尊)とは大聖人御自身であり、大聖人を離れて妙法はないのです。
しかし池田氏は、妙法が仏とかけ離れた宇宙の根本法則であると思い込んでいるようです。このような考えについて、日淳上人は次のように破折されています。
「南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして、宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで、南無妙法蓮華経は仏身(大聖人)であります(中略)妙法の理は天地の間にありましても、それは理性であります。実際には仏(大聖人)の御智慧のうちにのみ、厳然として具はり玉ふのであります。その仏は、十方法界に唯一人在ますだけであります」(淳全 九八二頁)
このように、人(大聖人)を離れて法(南無妙法蓮華経)はなく、大聖人はそのまま南無妙法蓮華経の御当体なのです。ゆえに池田氏の考え方は全くの我見であり、正しい考え方ではありません。
