第五項 『百六箇抄』の相伝を疑い、すべての後加文を軽侮する独断・慢心の妄説を破折する
「直授結要付属は一人なり」「末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の
如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫主と仰ぐ可き者なり」(P.869)とあるとおり、
唯授一人の歴代法主を惣貫主と仰がなければならない。
(文責者注・右文は創価学会が宗門の主張として挙げたもの)
本当に何も勉強していない輩だとしか言えません。そもそも相承書の一つであるはずのこの百六箇抄も、すでに大石寺には残っていなかったため、堀日亨上人が要法寺日辰や房州日我等の写本から写してきたもので、後世の誰だか分からない者たちによる後加文がたくさんあって、日亨上人が富士宗学要集第一巻P.20~25で丁寧にこれらの後加文を指摘しているではありませんか。
百六箇抄のこの文(P.21)もその後加文なのですが、愚かにも妙観講は、富士宗学要集で日亨上人が
『後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促す便とせり。』(富士宗学要集第1巻P.25)
と注記しているのを引いて、何を考えたか「この部分は一本線だから正義である」という跳ね上がった主張を「慧妙」に書いたのです。これも妙観講の勉強不足の最たるもので、「支吾」の意味を「誤り」とでも解釈したのでしょう。「誤り」がない=正義である、という短絡思考の妙観講らしい早とちりですが、正しくは「支吾」とは「枝梧」と書き、「ひっかかり」というほどの意味なのです。日亨上人は、後加文だがカチンとは来なかったので一本線にしたということなのでしょうが、これを「正義」とまで祭り上げられては、日亨上人も草葉の陰で苦笑いされておられることでしょう。
要するに我々は、大聖人の言葉を根本として仏法を実践するのであって、どこの誰が書き加えたか分からない代物を根本にはしないのです。
ましてこの百六箇抄は、日興上人から日尊に相承されたと言われているもので(富士宗学要集第5巻P.42祖師伝)、後世に邪宗日蓮宗要法寺の一門が書き加えた内容がたくさん含まれています。要するに妙観講たちの惣貫主は、邪宗日蓮宗の血脈を受けた惣貫主なのでしょうか?
更に、この文の直後には二本線ですが「六老僧をないがしろにする事勿れ」と邪宗日蓮宗らしいことが書かれているばかりでなく、「疑義ある所」として二本線が引かれている箇所には、相承書である「御本尊七箇相承」の「又本尊書写の事・予が顕し奉るが如くなるべし」から始まる重要な文章が3行にわったて含まれているのです。
妙観講のように後加文を根本にするような誤りを基準にすると、二本線を全て邪義であるとした場合は「御本尊七箇相承」も邪義だという結論になるし、二本線でも正義であるとした場合は、誤りを犯さないはずの法主(ここでは日亨上人)が誤りを犯したということになるのです。要するに結論は、後の時代の誰だか分からない人間が勝手に書き込んだ言葉は、基準にしてはならない、拒否しなければならない、ということなのです。
その後加文を根本にして、重要な血脈と相承についての法論をしようとするのですから、御書に照らせばやはり日顕宗は天魔か外道か、それとも愚か者でしょう。
『我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり』(P.181) (※行敏訴状御会通)
『仏教には経論にはなれたるをば外道と云う』(P.152) (※蓮盛抄)
『私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり』(P.882) (※善無畏三蔵抄)
たまには後加文ではなく、ちゃんと「大聖人の言葉」を引いたらどうだ!と責めてやりましょう。
この所で彼等は『百六箇抄』の後加文について色々言っています。まず、「支吾」という語についてのお笑い草を一言しましょう。
彼等は、「支吾」とは「枝梧」が正しいなどと言っているが、支吾と枝梧は同義であり、その意味は「ささえる」「さからう」「ごまかす」等の意であります。したがって、日亨上人が仰せの「義に於いて支吾なき所」とは、彼等が言うような「ひっかかりがない」などという軽い意味ではなく、はっきり、義において「支障なき所」「抵抗なき所」等と解すべきであり、法義において正しい所に一線を引かれたのであります。
ですから、日寛上人も『六巻抄』等において、この傍線部分の所をしばしば引用せられ、法義の正当性を闡明、かつ、強調されているではありませんか。
次に、彼等の浅はかで軽薄な見解では「我々は、大聖人の言葉を根本として仏法を実践する」などと空威張りしているが、その大聖人の御書における法門の段階、すなわち、所対すら判らない杜撰な見解を、至る所で暴露しています。したがって、「根本」などと言っても、大聖人の教えに根本的に背くばかりなのです。
このような低劣な見であるから、相伝書の相伝書たる所以として書き加えられた内容の軽重等も、判断がつかないのです。そこで、一概に「百六箇抄は、日興上人から日尊に相承されたと言われている」として、これには「邪宗日蓮宗要法寺の一門が書き加えた内容がたくさん含まれて」いて、それを信ずる者の「惣貫主は、邪宗日蓮宗の血脈を受けた」のか、などと、当たりもせぬ揶揄の言を述べています。これらの浮言も、根本の相伝信解が正しくないために枝葉に囚われて、肝要の主意を見損なった一例です。
要するに、日興上人より日尊師に対する、正和元年十月十三日の『百六箇抄』に関する付嘱の記事は、日亨上人が二線を引かれて疑義を呈しておりますが、与えてこれを採るとしても、その以前において『百六箇抄』を含めた一切の法門相承書は、唯授一人の付嘱に伴って日目上人へ当然、授与されているのです。日興上人は、日尊師の弘通の功績を認められつつも、それ以上に日目上人の弘通の功績を賞しておられます。かつ、日尊師は日目上人の弟子として富士へ上り日興上人門下に列したのだから、正和年間に日興上人より日尊師に授与されたと言われる『百六箇抄』が、それ以前に日目上人に伝えられていることは理在絶言です。
その後、日尊師より要法寺系統へ伝承された同抄について、その一門の書き加えがあっても、それ以前の書き加えとはおのずから異なるのです。つまり、書き加えのなかでも、本末、軽重があることを見る目もないのが、素人・創価学会の浅ましさです。故に、日興上人より日目上人、さらに正系への伝承に付嘱相承に関する中心・根幹が存するのであり、富士の僧俗が要法寺の血脈を受けることなど、あろうはずもないことです。
故に、これらは、文書伝承の筋道を正しく拝する力もない、創価学会の誣言に過ぎません。
要するに、この所における創価学会の悪口の主意は「この文が『百六箇抄』の後加文である。あとの時代のだれが書き込んだか判らない言は基準にしてはならない、拒否せよ」というのであります。しかし、この文の後加か否かに関わらず、また、文の位置も、その意義も確かめず、まさしくこの文の趣意をもって日有上人も日亨上人も仏法の正義の伝承を明らかに説かれているのを「拒否する」とは、まことに厚顔無恥な輩です。その日有上人や日亨上人が示された文を、創価学会はいつでも切り文にして隠しているが、事実は白日の如く、隠し通せません。
また、後加文の道理とその拝し方について第六十五世日淳上人は「相承書の後加は、これを受けた方が書かれたのであること。また、その受けた方の時代、正法を護るべき必要性から書かれたのだから、本趣旨、または、それに準ずべきものとして拝さねばならない。また、そこに法門相伝書たる特質もある」と、何回にもわたって述べられておりました。
一例を挙げれば、日淳上人は、田中香浦の謬見を駁す文のなかで、
「御相伝書は順次相ひ伝へるに従って加筆があってもそれは当然です。それが相伝書の相伝書たるところで偽作ででもあるかの如く考へるのは全く書物の読み方も知らないうつけ者です。そんなことでは仏法の筆受相承などのことを談ずる資格は遠くありません。顔を洗って拝し直すことです」(日淳上人全集 下巻一三七八)
と、明らかに述べられています。また、池田大作も『大白蓮華』昭和五十二年一月号の「百六箇抄講義」のなかで、
「本抄には、歴代の法主上人が『百六箇抄』を拝読された折り、一種の『覚え書き』として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、『百六箇抄』の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故に、この部分も、私たちが大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可欠の記述といえましょう。
この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された個所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたい」(同書二〇)
と言っているではありませんか。
しかるに、今、創価学会が後加の文として問題にするのは、まさしく自語相違、矛盾撞着の狂った主張であります。まさに法門の相伝を受け止めることもできない、信心の欠除した者どもであります。
さらに言えば、この文は、
「已上種の本迹勝劣畢んぬ」(御書一七〇二)
の文の直後であり、日興上人門下の最も基本の事柄を述べた部分であります。
創価学会の者どもは「身延相承」「池上相承」の二箇相承を否定するのでしょうか。もし否定できないならば、「直授結要付属は」以下「付属せしめ畢ぬ」(御書一七〇二)までの文義が真実であることをも否定できないはずであります。
また、創価学会の者どもは、日興上人より日目上人へ宛てられた『日興跡条々事』を否定するのでしょうか。これもまず、否定できないはずであります。しからば、日興上人より日目上人への相承付嘱も否定できない道理であります。
次に、日目上人より日道上人、日行上人乃至、日有上人、日寛上人、日亨上人等に至る相承は否定するや否や。もし否定的に「中間断絶あり」とか、または「全く血脈相承は認めない」と言うならば、創価学会は始めから日蓮正宗のエセ信者だったのであり、今さら日蓮正宗や日顕について、かれこれ言う資格は存在しないのであります。また、もしこれら代々の師に唯授一人の血脈相承があったと言うならば、右の『百六箇抄』の文はまさにそのことを示すものであり、内容においていささかの違いもないのだから、「基準にしてはならない」とか「拒否せよ」と力む必要は全くないのであります。おまえ達が認めているはずのことだからであります。
くどくどと、疑念・悪念をもって血脈の一貫性を否定することこそ、堕地獄の道だと言っておきます。もっとも、さらに議論を進めて「日達上人までの血脈は認めるが、学会を追放した日顕は認めない」と言いたいのならば、それ以前のところへくだらない文句をつけず、はっきり、そう言ったらよいのです。
破門したのは、破門すべき正々堂々たる仏法上の理由があったからでありますが、日顕にのみ血脈がないというのは創価学会の邪義・自見による誤りであり、仏法の法理は厳として存するのであります。
※『第六項 『日興遺誡置文』の「極理師伝」の文を否定する仏法破壊の妄説を破折する』へつづく
