日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

余念なく一筋に

正林寺御住職指導(H28.6月 第149号) 

 

  「余念なく一筋に」とは日蓮大聖人が『上野殿御消息』に、
「法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構へて相構へて、心を翻へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし。」(御書923)
と仰せのお言葉であります。

 時として余念なく一筋に、信心が水の流れのように行かない場合には、思い出したいお言葉です。心を翻へさず一筋に信じていけば、現当二世の果報があることを確信しましょう。
 大聖人は『四条金吾殿御返事』に、
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ。」(御書991)
と仰せであります。苦しい時も楽しい時も余念なく一筋に御本尊を信じて強盛な信心を貫いていくことが大事です。その苦しい時と楽しい時の信心経験が、化他行である折伏への貴重な資糧となり利生得益へとつながります。
 また大聖人が同抄に、
「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり。経に云はく『衆生所遊楽』云云。此の文あに自受法楽にあらずや。」(御書991)
とも仰せであります。日常の生活で苦しい時も楽しい時も、余念なく一筋に題目を唱えていく姿に本当の遊楽があります。

 余念とは、ほかの考え、余計な考え、他念という意味があります。余念なくとは、ほかの考え、余計な考えをなくすことです。一筋とは、いちずであり一つのことだけに打ち込むこと、ひたむきなさまということです。

 この余念なく一筋にを心がけていく信心に一生成仏があります。人生は楽しいことばかりではありません。寧ろ過去世の罪障と世に蔓延る謗法の影響により、苦しい時が多いかもしれません。その時にこそ、余念なく一筋に信心を貫いていくことが大切になります。