正林寺御住職指導(R5.5月 第232号)
宗祖日蓮大聖人の教えからは、仏法を基礎とした世法が望まれます。まさに、仏法の基礎「法礎」であり、清き法礎を土台として万年救護の法礎確立が仏国土実現には必要不可欠であります。法礎には、依正不二の原理へとつながる仏法と世法との厳密な関係が存します。
世法の根底には、法礎である正しい仏法が潤うことにより安住があり、学業やスポーツ、仕事などで障害となる魔を粉砕するために必要不可欠な位置に、仏法の存在意義はあります。依正不二の原理から三世間(五陰・衆生・国土)を安定するための必須です。
御法主日如上人猊下は、
「妙法広布に生きる時、我々は自分自身も、また自分を取り巻くすべての環境も変わっていくことであります。不幸な境界も、悪しき環境も、苦悩も、必ず幸せに変わっていくのでありまして、まさしく妙法受持の功徳によって個から全体へ、さらにその波動が国土世間へ及び、仏国土を築くことになるのであります。まさしく、これは一念三千の原理によるところであります。」(大日蓮 第927号 R5.5)
と御指南あそばされております。この御指南を「声仏事をなす」ことが肝要であります。
さて、5月3日は憲法記念日です。以前の大日本帝国憲法から日本国憲法にかわり、1946年(昭和21年)11月3日公布され、1947年(昭和22年)に日本国憲法が施行されたことを記念して、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法によって制定されました。ゴールデンウィークを構成する日の1つでもあります。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨としています。祝日の文化の日(11月3日)は、日本国憲法公布を記念して制定され「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としています。
日本国憲法の前文には、
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(中略)
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
と明記されています。
憲法の第二章 第九条には、戦争の放棄があり、
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
と、戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認を謳われています。
第三章 国民の権利及び義務には、第二十条として信教の自由があり、
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
と明記されています。信教の自由が保障されることにより、化他行の折伏も封建時代と異なり自由に布教活動が憲法には保証されています。信教の自由という日本国憲法の施行により、日蓮正宗の教えは戦後の昭和時代から飛躍的に弘宣された歴史があります。
憲法記念日は祝日との印象はありますが、宗祖日蓮大聖人の教えを信心させていただく法華講衆において、「仏法と世法」との観点から憲法の意義、また一天四海本因妙広宣流布を実現するため立正安国の在り方を再確認すべき大事な日になるでしょう。
立正安国については、大聖人の『立正安国論』を根本とすることが大事です。
仏法と世法の関係について大聖人は、『諸経と法華経と難易の事』に、
「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世法はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」(御書1469)
と御指南であります。世間のもろもろの姿は現象であり、仏法の理はその本質であることが拝せられます。
世間には世間の憲法を基軸とした法律や法規があり、風俗習慣もあり、一切の人はこれに準拠して生活をしております。しかし、表面の法則にすぎません。その奥底には知ると知らないとにかかわらず、仏法の三世にわたる深い因縁因果の法則があり、すべてはこれに支配されています。したがって仏法と世法とは世人の思うように別々なものではありません。
大聖人は『開目抄』に、
「深く世法を識るは即ち是れ仏法なり」(御書525)
と仰せであります。
仏法の法則とは過去・現在・未来の永遠に亘る因縁因果の法則であり、その内容は十界無辺の生命とその生活環境を含みます。然るに人間の生活圏では、現在の目先だけの因果が基準となり、その空間的な広がりも人間は人間、動物(畜生)は動物それぞれの種類のみの間における認識や交際であり、その範囲を出ておりません。
例えば世間の法律の目を逃れて盗み、詐欺、あるいは殺人等の悪事をしても、捕えられることもなく、罪の結果が現われないで死んでいく人がいます。これは一見、得をしたように思われますが、それは狭く浅い世間の因果律により、後の果報が判らない状態です。もし広く深い仏法の因果律によれば、その罪の軽重にしたがって畜生とか餓鬼、または地獄に転生し、生前の罪を償うため徹底してその果報としての苦を受けることになります。(※因果応報)
大聖人は『佐渡御書』に、「常の因果の定まれる法なり」(御書582)と。
故に深く現在と未来を考える人、本当の幸福を願う人は、より広く深い次元での生命の法則を説く仏法の教えによることが肝要であります。生活の中にあって常に仏法に対する信心を原点として、常にここにかえり、またここより出でて世間の要職職業に従事する人は、根のある草木の如く揺るぎはありません。仏法を信じない人の世間法や狭く稚拙な経験による生活は、根のない草の如くどこへ流れて行くのか判らない結果となります。つまり仏法は誰人にとってもその世間の生活と懸け離れたものではなく、その基本であり根本であります。
これほど大切な仏法であるから、邪師が現われて邪法を弘め、これを信ずる人が多い時は、国土に三災七難が来り世間が悪化することは当然です。故に世間を善導し民衆の真の幸福を計る道は仏法の正邪をただし、正しい仏法を弘めることにあります。まさに大聖人の『立正安国論』に仰せになる金言のこころであります。
世間に生活する以上、人々との交際も大切になります。社会の規則に従うことも当然です。しかしより深いところにそれらのすべてを支配一貫する高次元の絶対法則、即ち仏法がある以上、心を空しくし我見を捨ててこれに従うべきであります。仏法を体得しつつ、これを根幹として展開して行く生活が真の信仰即生活になります。所詮世法は所開、仏法は能開と知って、仏法の信心を根底とする生活こそ、正しく揺ぎないものと知ることが非常に大事であります。
まさに大聖人は『観心本尊抄』に、
「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得(う)べきか」(御書662)
と仰せのように、仏法である法華を真に識り、世法を得ることができて、大法弘通と大利益により、天晴地明の世法が現出すると確信いたします。
大聖人は『持妙法華問答抄』に、
「されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし」(御書298)
と仰せであります。正しい仏法を知り法華を識る者は第一となる御指南であり、法華経の行者として相応しい振る舞いにより持つ人随って第一となります。
まさしく『諸法実相抄』に、
「いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとを(通)り、日蓮が一門とな(成)りとをし給ふべし。(中略)末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。」(御書666)
と仰せのままに信心させていただく法華講衆は地涌の菩薩の眷属となります。
地涌の菩薩の眷属としての心得として『四条金吾殿女房御返事』に、
「経文を昼夜に案じ朝夕によみ候ヘば、常の法華経の行者にては候はぬにはん(侍)ベり。」(御書756)
と御指南であります。
御法主日如上人猊下は、
「一閻浮提第一の御本尊を持つ者こそ、一切衆生のなかにおいて第一の者である(中略)一閻浮提第一の本門戒壇の大御本尊様が在すことを心肝に染め、たとえいかなる障魔が惹起しようとも恐れることなく、一意専心、折伏に励むところに必ず大御本尊様の御照覧があることを確信し、講中一結・異体同心して折伏に励んでいくことが今、最も大事であります。」(大日蓮 第915号 R4.5)
と御指南であり、持つ法第一とは一閻浮提第一の御本尊のことであります。
『祈祷抄』に仰せの、
「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書630)
との御教えには、持つ法第一ならば、持つ人も第一であるとの自覚が必要です。
この持つ法第一ならば、持つ人も第一となる信心には、「持つ法」の「法」については申すまでもなく「法華最第一なり」である一閻浮提第一の御本尊・本門戒壇の大御本尊であります。
さらに、帰入・会入の意義からは、「治生産業」(御書79)の教えのもと世間法(憲法・法律等)にも順応する意味から、「持つ法」の「法」に含まれると拝すことも大事です。世界広布を目指し一天四海広宣流布を祈念する、法華経の行者の祈りの叶はぬ事はあるべからずには、日本での治生産業と国外においての治生産業をも考慮する必要性があるでしょう。
5月3日の憲法記念日には毎年、仏法と世法について、さらには法礎について未来広布を見据えた富士の立義に随順した思考が必要ではないでしょうか。
第六十七世日顕上人は「法礎」について、
「奉安堂の建立により、これから未来に向かっての正法広布の法礎が厳然と築かれたものと信ずるのであります。この意義を深く体し、これから異体同心、僧俗一致しての広布への前進こそ大切であります。」(大日蓮 第681号 H14.11)
と御指南あそばされました。まさに、本門戒壇の大御本尊在す奉安堂は、法礎建立の意義が存する現時の殿堂であると拝し奉ります。妙法受持の功徳による波動は、大御本尊への絶対的確信のもと国土世間へ及び、仏国土を築くことに声仏事をなしてまいりましょう。
最後に、日本初の憲法である飛鳥時代に聖徳太子が制定した「十七条憲法」があります。604年に発布され、道徳的規範を中心とする法令で「和を以って貴しとなす」から始まり、第二条には、「篤く三宝を敬へ。三宝は仏法僧なり。」との条文があります。日本の憲法には仏法を敬う時代がありました。
本当の広宣流布実現時には、憲法にも法華経の究極である「三大秘法」等の文言が条文に記述されるのではと期待いたします。そのためにも地道な下種折伏活動に精進しましょう。
宗祖日蓮大聖人『諸法実相抄』に曰く、
「いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとを(通)り、日蓮が一門とな(成)りとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだ(定)まりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。経に云はく『我久遠より来(このかた)是等の衆を教化す』とは是なり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。」(御書666)

